一生勉強、一生青春。二刀流で斬り開く、究極の昆布作り

一生勉強、一生青春。二刀流で斬り開く、究極の昆布作り

北海道の最北にある利尻島は、秀峰・利尻山を中心とした美しい自然に触れ合える島。そして言わずと知れた昆布の一大生産地です。

利尻島を訪れると、島のあちこちで見かけるポスターがあります。
2017年に結成された利尻町のHIP HOPグループ「リーシリーボーイズ」。

奇抜なB系のファッションに身を包み、軽快な音楽に合わせてダンスを披露するのは、平均年齢82歳(2017年当時)の現役漁師たち!
町おこしのためにと立ち上がったおじいちゃんたちのパワフルな姿はTVやネットでも話題となり、今や島を代表する人気者になりました。

利尻町役場の佐藤弘人さんは言います。

「おじいちゃんたちが若者の服を着て、若者の音楽で踊っている。そのギャップがおもしろい。若い女の子たちは、かわいい!って言ってくれるんですね。わざわざ会いに来てくれることもあります」

将来的に家庭の食卓を担う“お母さん”になる若い女性に、島の昆布や漁業者に親しみをもってらいたい……。
グループ結成の裏には、一般家庭の昆布離れへの危機感もあるそうです。

メンバーの漁師は、大ベテランの上、島でもちょっとしたこだわりをもつ漁師ばかり。中でも、58歳まで大工と漁師を兼業していた藤田武利さん(通称:ガンゼさん)は、“藤田式”と呼ばれる島で唯一の昆布干しの技術をもっています。

ないなら、つくる。

人を慈しみ、道具を愛し、昆布を極めたその先には、これからの漁師の働き方を考えるヒントが隠されていました。

 

家を建て大工を学び、海に出て漁師を知る。

藤田さんの家は、島の南側。
仙法志というエリアにあります。

「この家も倉庫も、全部お父さんが作ったの」

家を案内してくれたのは、藤田さんの奥様・美津江さんです。

「廊下の奥の扉の向こうが乾燥小屋。乾燥小屋のすぐ外が干し場。全部近い場所にあるから、とっても楽よ」

常に仕事の効率化を考え、質の良い昆布を作る藤田さんのもとには、島へ移住した若い漁師たちも学びにやって来ると言います。そんな若者たちに藤田さんが、口を酸っぱくして伝えている事があります。それが、仕事場の“3点セット”です。

「干し場、乾燥小屋、倉庫。この3点セットを近くに作りなさいと。自宅も含めた4点セットができればもっといい。倉庫はあっち、干し場はこっち、行ったり来たりすれば時間はロスするし、労働力もかかる。うちは4点セットでがっちり回転式で回してるからいいのさ」

藤田武利さん。御年80歳。
年齢を感じさせないがっしりとした体つき。
リーシリーボーイズのかわいらしいおじいちゃんの印象はどこへやら。
目の前にいるのは、芯の通った海の男です。

それでいて、おしゃれなスウェーデン製のストーブに薪をくべ、充電式のヒーターベストをさらりと着こなす、かっこ良さも持ち合わせています。

「漁師は楽して効率良く。そして品質良くしないと」

小さな頃から美術や図工が得意だった藤田さん。
8人兄弟の長男として育ち、中学を卒業した15 の年から、建具を作る仕事と漁師の仕事をはじめたそうです。

「とにかく働かなくちゃいけなかった。大工も漁師も、師匠はいない。人に教わるの嫌なんだよね。資格はあとから本を読んで、独学でとった。あるとき、友達に好きなように家建ててみろって言われて。1軒建て、2軒建て、自信つけたんだ。俺が60年前に作った建具を今でも使ってる、なんていう人もいるんだよ。漁師の仕事と大工の仕事。とにかく休みなく働いた」

身振り手振りで話す藤田さんの大きな手が、働き者であることを物語っています。

「何言っても聞かないから。全部任せてるのよ」

忙しい藤田さんをそばで支え続けてきたのが、奥様の美津江さん。
どこへ行くのも、2人一緒です。苦しみも、喜びも、この島で。
同じ時間を共有してきました。

海で仕事をする藤田さんが沖船頭であるのなら、美津江さんは陸(おか)船頭。
干し子さんへの指示や、昆布干しの段どりなど、すべて美津江さんが行っています。

「お互いの体力を分配し合うってこと。そういう風にすればお互い必要以上に頑張らなくていいもの。でもうちはなんでもお父さんが作ってくれるから、本当に楽チンよ」

どうやら藤田さんの凄さを語る上で、大工としての経験と知識、そして新しいものを取り入れる柔軟さが欠かせないようです。

 

みんなの苦労を解消したら、
最高の昆布ができた!

昆布は、2年かけて海の中で育ちます。
島の厳しい冬に耐え、荒波にも負けずに2年耐え抜く。よほどの生命力がないと生き残ることができません。「それだけにうまみと栄養価も高い、すばらしい海藻だ」と長年の相棒である昆布を藤田さんは褒め称えます。

昆布の収穫時期である7~9月になると、夜明け前から島全体がそわそわしはじめます。

朝5時。
島に放送が流れれば、漁のスタートです。
1時間ほど前から海で待機していた漁師たちが、一斉に昆布獲りをはじめます。

「いいか、昆布漁は駆け引きなんだ。いい昆布が適度にあって、人がいないっていう、そこを狙っていくのさぁ!」

昆布漁の話になると、表情がいきいきと輝きだす藤田さん。
実に楽しそうに漁のことを語ります。

船いっぱいに積まれた昆布を浜で受け取るのは、お母さんたち。
トラックに昆布を詰め込み、いそいそと干し場へ運びます。

昆布は大きいもので長さが3mもあります。
それを小砂利の敷かれた干し場に、1枚1枚広げ、重ならないようにまっすぐに干していかなくてはいけません。

利尻山を借景に行われるこの昆布干しは、利尻島の夏の風物詩。
見ているほうにとっては壮観ですが……作業を行う干し子にとっては、とても大変な労働。足腰を痛めている人も多いそうです。
それでも、この方法が常なのだと誰もが信じていました。

……その常識を打ち破ったのが、藤田式!

藤田式の昆布干しでは、小砂利の上に昆布を干しません。
代わりに『馬』と呼ばれる腰の高さほどの台を使用します。
この『馬』の上に網を貼った木枠を置き、木枠の両側から昆布を1枚1枚並べていくという仕組みです。

大きさ、重さ、高さ、形状。
大工の知識をフルに活かし、試行錯誤を重ね、藤田さんが開発しました。

藤田式の昆布干しは、腰の高さで作業できるのが最大かつ最強のメリット。
これにより、長年腰痛に苦しんでいた干し子たちの悩みを解消することができました。また、女性陣でも木枠を簡単に持ち運べる重さに作られているので、突然の雨でもすぐに屋根のある場所に運ぶことができます。さらに、1枚の木枠に干す昆布の数も決まっているので、1日の作業で何段(※段=昆布の出荷単位)の昆布を作ったかすぐに計算できるという利点もあります。

「俺は干し子に無理かけたくないのさ。老齢化してみんな腰痛めて。楽して効率良くして、良い品質を目指すのがこだわり」

『馬』を使うことによって、下からの風も受けることができるようになり、長くて厚みのある、ずっしりとした昆布でも、しっかり1日で乾かすことができるようになりました。

ある漁協職員は言います。
「藤田さんの昆布はきれいすぎる。他の漁師と見比べても、すぐにわかる」

実はこの“きれいな昆布”を作るために、もうひと手間。

網の上にただ昆布を並べるだけでなく、その上にさらに網をかぶせ、箸と呼ばれる15cmほどの木片で昆布と網を縫うように固定させて干しているのです!

昆布は乾くときにまくれあがってしまう性質がありますが、手でシワを伸ばしたり、無理な負荷をかけることは、大事な筋を潰してしまうことになります。
手間はかかりますが、こうして軽く固定することで、自然体に近い形でまっすぐに乾かすことができるのです。

人にも昆布にもいいことづくしの藤田式。
ここにたどりつくまでに15年の歳月を要しました。

はじめは手間をかけるだけ無駄だと笑っていた人たちも、近年になってようやく藤田式の良さに気づき、様子を見にやって来るようになったそうです。

もちろん、道具を作るためにお金がかかることや、『馬』や木枠を保管するための大きな倉庫が必要になるなど、誰でも急に真似ができることではありません。
それでも藤田さんが信念を曲げず、言い続けてきたことがあります。

「漁師は農家のひとみたく、品質良くしなければいい値段はとれねぇ。いい品物つくって、商品価値を高める。そしたら買う人だって変わるんだよ」

いつからか、藤田さんの干し場には、観光バスが止まるようになりました。
台の上で昆布を干すということが、結果として、消費者へ向けた衛生的な配慮にも繋がっています。

「漁師は知恵を絞らなくちゃいけないよ」

すべては、人を大切にしたいという藤田さんのやさしさと、品質へのこだわりがあってこそ。
これこそが藤田式の真髄。
そして、これからの漁師が目指すべき姿なのかもしれません。

 

昆布のマンションはじめました。

藤田式の昆布干しで満足することなかれ。
藤田さんの凄さはまだまだあります。

「うちには昆布のマンションがあるんだ。見るかい?」

案内されたのは、乾燥小屋のさらに奥。
ビニールシートで覆われた扉の前で、藤田さんが振り返り、秘密基地を見せるかのようにいたずらっぽく言いました。

「ここが、昆布のマンションだ」

人が4、5人も入れば身動きがとれなくなってしまうような小さな空間に、きれいにビニールシートで包まれた昆布がぎっしり。圧倒的な空間です。

「倉庫のなかで生きてる昆布が湿気を出さないように、極力温度差を作らないようにする。ここは魔法瓶と同じ構造なの。簡単に言えば、小屋の中にもうひとつ小屋を作った。そうすることで冬はあったかく、夏は涼しく、温度変化がなくなる。それプラス湿度も管理してる。すると色が変わんないで、昆布がなんぼでも持つのさ。今18年ものがあるよ」

昆布は口にするまでが、生き物。
ワインのように年を重ねるごとに少しずつ、香りや味が変化していくおもしろさがあると言います。
しかし、ただビニールシートで包んで保管しても1年が限度。
色とうまみを抜けさせないためには、徹底した湿度と温度の管理が必要になるそうです。
つまりここは、熟成昆布のための部屋!!

魔法瓶構造の上、管理を徹底しているからでしょうか。
耳を澄ませば、昆布のかすかな息遣いが聞こえてきそうです。

「昆布は呼吸しているから、乾燥剤代わりに紙で一度包んである。さらにその上からビニールでしっかりと包んで。こいつは15年前のやつだね。さてどんなことになってるか。本当は開けたくないんだけど。見てみるか?」

いいんですか?と恐縮しつつ、まるでタイムカプセルの開封を待つようにワクワクする取材陣。

昆布の良い香りとともに登場したのは、15年の年月を感じさせない、黒々とした立派な昆布!
まっすぐ「シャン」としているのも、藤田式ならでは。

「もっともっと商品価値を高めていきたい。まず昆布の性質……昆布ってこういうものだよ、口に入るまで呼吸してるよ、生き物だよ、って。味にも変化があるのさ。それをいかにして見逃さないようにするか。全部、研究だね。漁師は研究。それからはじまるのさ」

昆布のマンションに眠る熟成昆布は、藤田さんの研究の成果そのもの。
決して売りにだすことはありませんが、噂を聞きつけてさまざまな人が藤田さんのもとに訪れます。かの有名な料理人・道場六三郎さんもこの昆布を認めているのだとか。そんな貴重な昆布を、ほぼ贈答品であげてしまうのだそうです。

「本当にうちってひっきりなしに人が来るのよ。そういう人たちにあげたり、これでおぼろ昆布作ったりね。また喜ぶんだわ、みんな」

カラカラと笑う美津江さんの横で藤田さんも、そうだそうだと頷きます。
その姿は世話好きの大家さんのようです。

そんな2人の楽しみといえば、昆布のマンションに入居したばかりの“旬の昆布”。

「7月20日、土用の入り。この日に獲る昆布を“旬の昆布”って昔から言ってたんだ。うまみと甘みととろみ。これが全部頂上に達するんだって。昆布の等級は、大きさや色、姿形で決まる。“旬の昆布”は、茶色くて薄っぺらいのよ。1等2等になることは決してない昆布だから、今までは仕方なく獲ってた。でもある人に“旬の昆布”は一番うまい!って言われて、去年ちぎって食べてみた。そしたらもう半端でねぇのさ。うまみは強いし、甘いし、とろめきがすごい。これが“旬の昆布”か!って。最高の味とは聞いていたけど、これほどのものとは思わなかった。つまりは、昆布は味と等級が、必ずしもイコールにならないってことだ」

研究心に火が付いた藤田さん。
さっそく“旬の昆布”を、昆布のマンションに入居させたというわけです。

「10年間熟成したら、俺90になってしまうから、いやーって思いながら(笑)。どんないい昆布ができるんだろうって。今から楽しみだね」

 

「漁師は楽しい」
若い世代へ伝えたいこと

利尻島では、新規漁業者を応援する「漁師道」という制度があります。
親方漁師のもとで決められた期間就業すれば、共同漁業権を得られるというシステムです。

昆布作りに精通した藤田さんのもとには、噂を聞きつけた若い漁師たちが勉強にやって来ます。藤田さんは若者たちに道具の作り方を教え、これからの漁業の在り方を問い、ときにはご飯を食べさせてあげるそうです。

「我々はいずれ漁業を去っていく。よそから入ってきた若い人には、少しでもいい生活をしてもらいたい。『漁師っていいな』って、いつまでも憧れをもっていてもらいたい。漁師のいいところは、やればやっただけお金になるっていうこと。ただその反面、落とし穴がある。やっぱりね、みんな体いじめてんさ。利尻の漁師って、相手と自分との戦いなんだ。船にひとり、相手もひとり。あいつにに負けたくない。さぁ旗が上がった。旗が降りるまでは、怖いから休むことはしない。無理に無理かけてるのさ。若い人は元気あっていいんだけど、年いってからガタが来る。我々の年齢の大半は、冬の間、札幌に病院通いしてるよ。足腰悪くして。だから仕事は、今この瞬間のことだけ考えるんじゃなくて、長い目で見て、体を労わりながらやってほしいのさ。これからの時代は苦労することない。楽しみながらやりなさいと」

藤田さん、今まで忙しくしていた分、“アトリエ”と名付けた書斎で、趣味の時間を過ごす時間が増えました。
家のリビングや廊下に所狭しと飾られている額装の数々。
絵画や水墨画は藤田さん、写真は美津江さんの作品というから驚きです。

「最近はドローンだね。4Kの。編集専用のパソコンも3台買って。自分で動画作るんだよ」

案内された“アトリエ”には、見た事もない大きな液晶画面(もちろん4K)!
リーシリーボーイズのサイン画色紙も大人気で、1日3〜4枚描くこともあるそうです。
リーシリーボーイズの活動も、二つ返事で引き受けたのだとか。

「ヒップホップだかなんだかわかんねぇけど、島のためになるならやるよって。あんまりかっこいい映りではねぇから、周りからよくやったなってびっくりされた(笑)」

いついかなるときも、「島のため」と動ける藤田さんは、十分にかっこいい。
そして目一杯、島での暮らしを楽しんでいるようです。

「ここで生まれ育って80年。利尻以外の生活は考えられないね。島で一番魂入るのが、四季。3月、4月、5月できちんと春を刻んで、6月、7月、8月で夏をキリッと刻む。こんなに四季がきれいに刻まれるの、利尻以外ない。“旬の昆布”もあるしね。死ぬまでここにいるわ。死んでからも」

いつの時代も変わらない島の美しい四季とともに、藤田さんはこれからも島に訪れる人を、美津江さんと2人、温かく迎え続けます。

そして、愛するこの島で。
漁業のあるべき姿を問いながら、未来に向かって挑戦し続けていきます。

(文=高橋由季 撮影=Funny!!平井慶祐)
※取材・撮影は2019年1月に行いました。

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