2020年7月29日に、気仙沼市沿岸漁業担い手対策支援事業<チームTRITON気仙沼>のキックオフイベントが開催されてから、3ヶ月。10月10,11日には、1泊2日の漁師学校「TRITON SCHOOL – 秋鮭刺網編 –」を気仙沼市唐桑地域で初開催し、順調に始動しています。
そして10月27日、「漁業の未来を考えよう〜若手を受け入れ、育てるためには〜」と題した担い手育成事業に関する勉強会が、気仙沼市魚市場の会議室で開かれました。
前日までの参加予定者は指で数えられるほど。「天気次第だからその日にならないと行けるかわかんないなー」という漁師たちらしい返答に、スタッフはソワソワしていましたが、会場には沿岸漁業の漁師だけでなく、宮城県漁協職員・遠洋マグロ船の船主・漁具屋・地元水産高校の先生と生徒・行政関係者など約50人が集まりました。親方&担い手漁師の体験談や遠洋漁業の事例紹介など、深刻化している後継者不足を感じさせず、希望あふれる内容でした。
連携し、漁師の担い手をサポート
まず気仙沼市 菅原茂市長が、気仙沼市沿岸漁業担い手対策支援業務について説明。
「東日本大震災後10年を経て、ようやく多くのみなさんの気持ちが揃いはじめた。気仙沼市が行政単独で沿岸漁業の担い手事業を進めていくのは難しい。石巻市で担い手事業の実績があるフィッシャーマン・ジャパン、気仙沼魚市場前で漁師のための銭湯と食堂を運営している(一社)歓迎プロデュースの協力も得ながら、担い手一人ひとりが立派な漁師になれるようなサポートをしていきたい」
震災以前から課題であった漁師の高齢化と後継者不足の課題に、気仙沼市として万全の態勢で取り組む態勢が整いました。
続いて、フィッシャーマン・ジャパン事務局長の長谷川琢也は、「日本では水産資源の生産量も魚の消費量も減少傾向にあるけれど、世界に目を向けると養殖はどんどん増え、天然ものは資源管理の成果が出て横ばい。水揚げも、一人当たり魚を食べる量も増えている」と、世界的には、漁業にはまだまだチャンスがある水産業を取り巻く背景を解説。
「大事なのは、担い手の相談窓口である事務局メンバーの存在や漁協とのチーム連携で事業を推進すること。ひとつ、いい事例ができると地域が変わります。外からきた人にチャンスを与え、成功の積み重ねで地域全体を良くしてほしい」
すでに、市や漁協の連携はできている気仙沼。成果はすぐに現れそうです。
変わる担い手、地域も変える
百の理論よりひとつの実践。
石巻市雄勝湾の小島地区で、ホタテや銀鮭などの養殖業を営み、二人の若手漁師を育てている佐藤一さん(以下、はじめさん)に弟子たちと一緒に会場へお越しいただき話を聞きました。
「親父と二人でやっていて『求人は、まだいいかな』って思ってました。親父が亡くなり、漁師学校のお手伝いをした時の受講生が大輝。また、来たいっていうので受け入れました」
小島地区で生業として漁業をしているのは、はじめさんだけ。震災を機に地元を離れていく人も増え、作業に応援に来てくれる人も確保できない状態。なんとかしないといけないとは思っていたけど、担い手を育て、増やすという意識はさらさらなかったと言います。
三浦大輝くん(26)は他にも求人情報があった中で、はじめさんを選んだ理由を「2日間の漁師学校でいい人そうと思ったことと、将来的にいつか独立したかったから。ホタテを始め、他魚種を手掛けているはじめさんの元でなら色々勉強できるかなと思いました」
大学卒業後、金融系のサラリーマンを2ヶ月で退職し、漁師の道に飛び込んだ三浦くん。
「魚を触るのが好きで、今までとまったく違うことをやりたいなというのもあり、自然と対する仕事の方が自分に合ってると思いました」
大阪のような都会からでも、漁師になりたいという子はやってきます。
一方、受け入れる側の親方は……。
「最初は続くかどうかもわからないし、来て続かなかったら、その時考えたらいいって感じでした。一番難しいのは、浜の人たちとコミュニティをつくれるかどうか。そこで働く人たちや住んでいる人たちと仲良くなんないと、あいつ何ものだっていう空気が続いてしまうし、だから周りの人にちゃんと挨拶することが大事」。
はじめさんの教えを守り、挨拶に始まり、お祭りや小学校の音楽サークルなどイベントにも積極的に参加している三浦くんは、地域のコミュニティに溶け込んでいます。
そしてはじめさん、さらにもう一人、山形からやってきた富樫翔くん(20)を漁師の担い手として受け入れました。
大輝くんを抱えながら、二人目を雇う。はじめさんの、その決断は?
「自分の中でどうやって収益を上げていくのかというのがありました。我々漁師は、繁忙期と閑散期がはっきりと分かれていて、通年雇用は難しい。その中で自分は扱う魚種も多く忙しいし、一人雇ってみたら『まっ、イケるか』と」
三浦くんは後輩ができたことでスイッチが入ったように、「大洋丸」として販路を広げる営業に出て、独立のためのアルバイトもはじめました。内向的でコミュニケーションが苦手、サラリーマンをすぐに退職した三浦くんの心境と行動の変化。
「営業に出たのは、はじめさんには仕事も生活もお世話になっていて、貢献したいなという思いです。アルバイトは独立のための資金づくりです。笑」
店頭に立ったり、東京にあるフィッシャーマン・ジャパンの直営店『魚谷屋』でお客さんに海産物の解説をしたり……。
「それまではつくって出荷するだけというところから、実際に品物を持って行き食べてもらうのは面白かったです。みんな温かく応援してくれました。魚谷屋では私が積極的に前に出ていましたが、数ヶ月後に行なった別のイベントでは大輝も前に出るようになった。背中を見せている意識はないですが……」と、はじめさん。
漁師の担い手でやってきた若い子たちが親方のことを思い、みんなで稼がなきゃと変化していくステップがとても大切です。2019年12月、三浦くんは地域の推薦を得て、准組合員として共同漁業権を取得しました。そんな2人はこれからのことをこう語ります。
「大輝も独立してすぐに安定した収入を得るのは、やはり厳しい。うちで従業員として働きながら、筏をどんどん増やして独立への道を進んでほしい」(はじめさん)
「今すごく漁業にやりがいを感じているのが、自分が携わった海産物を『めっちゃ、美味しい!』って言ってもらえた時。いずれ自分の海産物をもっと一般の方に広め、身近に触れ合えるような生産者になりたい」(三浦くん)
石巻市雄勝湾で、着々と漁師スキルを更新中の漁師担い手の好例です。数十年前には考えられなかった、漁師と都会育ちの若者の出会いがここにあります。
(三浦くんの成長物語は、TRITON JOB『海からはじまる物語』で)
https://job.fishermanjapan.com/column/980/
遠洋漁業では今
沿岸漁業の担い手育成に乗り出した気仙沼市は遠洋漁業船の寄港地でもあり、「日本一、漁師さんを大切にするまち」を目指しています。しかし、東日本大震災の影響もあり、その遠洋漁業の担い手の実情も厳しいものでした。1年間活動してもマグロ漁船に乗る人は一人いるかいないかという時期が続いたと言います。
漁師も高齢化する中で、若手漁師の担い手は必要です。宮城県北部船主協会 事務局長の吉田鶴男さんは、ブログを効果的に活用、少ない予算でも効果的に広報展開をしています。地元紙、地元キー局、ラジオ、全国紙、テレビなどで徐々に取り上げられるようになり、今では気仙沼、マグロで上位検索されるようになりました。
「これまで100人以上の乗組員を受け入れてきています。いまではいい事例も出てきており、遠洋漁業で乗組員の命に関わる機関長を育てるのは難しいですが、誕生まであと少しのところまで来ています。日々連絡をしたり、気仙沼に来たらお酒を飲んで愚痴や希望を聞いたり、励まし合ってきた4年半でした。
方法論は色々、情熱ひとつであり得ないことでも現実になります。マグロ漁船の漁師は、男らしさと過酷な労働に耐えたという男たちの生き様だと思います。気仙沼に来た子たちは漁師になりたいという前に、『あんな男になりたい』という思いで来ています。
沿岸漁業の人たちもきっと同じ。担い手を育てるために自分にできることは躊躇なく、行動と失敗を繰り返していけば、気仙沼の沿岸漁業を成長させる未来がすぐに見つかると思います」
遠洋漁業では、5年で50人、10年で100人という新人の確保の目標を掲げ、これまで年間一人だった担い手が今では目標達成率200%で推移。気仙沼の漁業を守るという気持ちは、遠洋漁業も沿岸漁業も同じです。
アンケートでは、「情報発信の徹底強化」「地域みんなでやんねばなんね(やらなきゃいけない)と思った」「漁師さんに敬意をもって接したい」「5年後、10年後を見据えた仕事の進め方を考えていきたい」等々、初勉強会に満足したという意見が寄せられました。今後のテーマとして「高校生向けの講話や体験の可能性」など、次世代への積極的なアプローチも期待されています。
地元水産高校の生徒も参加し、熱心に耳を傾けていた勉強会。
港に談笑している若い漁師があふれる「日本一、漁師を大切にするまち」気仙沼の未来は、すぐそこまで来ています。
(文=藤川典良 撮影=髙橋由季、Funny!!平井慶祐)