水産庁は2020年、水産業におけるICT(※1)等の活用によって、操業・生産現場や研究機関等が収集するデータを相互利用し、水産資源の評価管理はもちろん、データに基づく漁業・養殖業、新規ビジネス創出を支援する環境として「水産業データ連携基盤」の稼働を開始しました。今後ますます、適切な資源評価や管理や生産性の向上を図るスマート水産業の実践が求められていきます。
一方で、海産物の集積場である魚市場はICT化にどのように対応しているのでしょうか。2019年3月に高度衛生管理対応型の新しい魚市場が完成し、総延長853mの巨大な施設が動き出して2年。気仙沼市魚市場の現状を訪ねました。
電子入札導入の効果
気仙沼市魚市場(以下、「魚市場」)では、北側施設でアナゴやカレイ、定置網などの沿岸漁業、A棟・B棟でカツオ一本釣りやカツオ旋網、C棟では大目流し網やマグロ延縄、D棟ではサンマ棒受網のほかイワシやサバ、マグロなどの旋網運搬船を取り扱っています。
A,B,D棟は従来通りの手入札ですが、C棟では手書きしたものを機械に読み込ませるO C Rによる電子入札です。また、定置網や刺し網などで獲った多種多様な魚種を扱う北側施設では、2018年1月に電子入札システムの導入を開始しました。これまで買受人は紙の札に手書きしていましたが、タブレット端末画面に価格を入力。結果の発表も、わざわざ集まらずその場で確認できるようになったのです。
買受人が使用する応札端末は、縦13㎝、横20㎝とA5サイズより少し小さいぐらいの大きさで、防塵・防滴で、1.2mの高さから地面に落としても壊れないという堅牢さです。端末は買受人1人に対して1台使用可能で、購入と貸し出しで対応しています。
気仙沼漁業協同組合(以下「気仙沼漁協」)では、高齢化の問題や担い手はもちろん、効率化に結びつくことは常日頃から検討されていました。そこに、ソリューションサービスとして気仙沼漁協のシステムを手がける(株)SJCが名乗りをあげ、両者の思惑が合致。多様な魚種を扱う魚市場が抱える課題に対して、電子入札によるICT化はさまざまな効果があったといいます。
システム導入には多額の経費もかかりますが、魚市場の開設者である気仙沼市が半額を負担することで導入に踏み切ることができました。しかし、システム導入による効果は入札時間の短縮だけではなかったのです。手書きによる数値の誤読や誤写、パソコンへのデータ入力等、時間だけでは推し量れない現場の方々のストレスも改善。入札に付随する煩雑な作業の省力化につながりました。
実際、魚市場でタブレット端末を手にする買受人に話を聞くと、
「前日の結果もわかる」
「落札すると色が変わり分かりやすい」
「入札場まで移動しなくてその場で結果を見ることができるので楽」
「前日の入札結果を履歴で確認し、役立てることができる」と、概ね好評。
「最初は戸惑ったが慣れた」と口を揃えます。
難航した開発の裏側
とはいえ、高齢の買受人も多い中でアナログの慣習をデジタルに移行するのは、それほど簡単なものではありません。システム開発を手がけた(株)SJC では、買受人の方々が納得できるルールの整理に時間をかけ、端末を使用する買受人視点を心がけたといいます。
魚市場の現場を取り仕切る気仙沼漁協ではこれまで膨大な数の手書きの紙札を4,5人で選別。手書き数字なので、その判別にも大変な労力を要します。現場の高齢化や効率化を図るためには一歩踏み込むことも大事。こうして、電子入札システムは手探りの状態ではじまりました。
システムの開発を担当したSJCは、「システム化していくときに、フリーな部分を組み込むのは難しい」と、手書きの柔軟さを残しつつ利便性を向上させていくのかに苦心したようです。
魚市場では、魚の種類も多い上に、函だったりタンクだったり、一尾一尾だったりと魚種漁法ごとに販売方法も違います。また、買受人が希望する買い方を書いた<条件札>という、イレギュラーな買い方も紙ではできてしまいます。基本のルールは決まっているものの、イレギュラーな書き方を気仙沼漁協のプロフェッショナルな人たちが適宜判断しています。手書きの柔軟さを残しつつ利便性を向上させていくのは、至難のわざです。
買受人がスッとデジタルに違和感なく入っていけるように、紙の札のイメージをそのままタブレットに落とし込んだプロトタイプを何度も製作。イメージの共有と整理を繰り返し、買受人も気仙沼漁協職員も納得できる入力画面に近づけていきました。その労を惜しまないことで、現場で使用するための勉強会での理解度も高くなります。
買受人への勉強会は、1回20〜30人の勉強会を6〜7回行い、中には何度も来る人もいたそうです。勉強会に用意した<北入札場タブレット 基本操作>資料は電源の入れ方から実に丁寧。
『リンゴマークのボタンを「カッ チッ」としっかり押します』、『立ち上がり直後は反応が悪いので、そのまま5秒程度待ちます』と、起動に要するわずかな時間までしっかりと書いてあります。
気仙沼漁協職員の人数にも限りがあるため、以前は入札結果を発表しないと次の入札に移れないので「いつになるんだ!」と買受人が騒ぎ出すこともあったそう。けれど今は買受人さんの入力を待つようになり、買受人だけでなく、気仙沼漁協にとっても大きなメリットがありました。
魚市場のICT化
気仙沼漁協では電子入札システムを導入する前から、省力化・効率化の取り組みを行なっていました。手書きしたものを機械に読み込ませるOCRによる電子入札もそのひとつ。OCR機を用いた電子入札システムの運用開始は2004年4月。導入によって、入札の効率化・省力化は図られています。
また、スカイタンク入りの商品の計量については、フォークリフトに計量スケールが取り付けられ、リフトでスカイタンクを持ち上げると自動的に重量が計測されます。水と氷を入れた状態での重量をあらかじめ計測しておき、魚を入れた状態の前後の差で商品の実重量が計測される仕組みになっています。
入札を早くしても適正な価格がつかなければ意味がないため、フォークリフトの応用で、どの船がなんの魚をどのくらい獲ってきたのかという入札の準備<下付け>の効率化を図れないかということも検討中。しかし、魚の種類が豊富なためまだまだ課題は多く、作業の効率化・省力化を図る中で、結果的にICT化で可能なことを模索しています。
トレーサビリティへの対応
日本の魚の販路を海外に求めていくためには、いわゆるトレーサビリティへの対応が喫緊の課題となっており、2018年の米国水産物輸入モニタリング規則の施行など、資源管理を前提としたトレーサビリティは世界各国で強く求められています。
気仙沼漁協 参事の臼井靖さんは、今後さらに水産業のICT化が必要だと言います。
「震災後、証明書がないと出荷できないことが多くなりました。気仙沼で水揚げされたカツオやビンナガマグロの一部は、タイやベトナムに輸出され缶詰製品になりますが、これがアメリカに輸出されると米国の水産物輸入監視制度(SIMP、※2)の対象になるのです。
2018年に水揚げされたカツオやビンナガマグロを対象に、トレーサビリティの実証実験をしたことがあります。しかし現状では、気仙沼で水揚げしたものしか証明書を出せないので、各漁港で同じようなシステム導入が求められています。今は、大船渡でも実証実験が行われています」
マグロ類や生鮮品を除くマグロに関してはドルフィンセーフ認証制度(※3)のために、船長が署名した書類の提出も必要で、海外に輸出する際には、これまで以上にトレーサビリティへの取り組みと情報収集が必要不可欠になるのです。水産業も業務の効率化とともに、情報の効率的な伝達のために、ICT化への対応は欠かせません。
これまで水産業は、比較的アナログな現場と考えられていました。しかし、効率化・省力化を図ることで、別のことに目を向ける時間が取れるようになります。多くの魚が集まる魚市場は、水揚げからはじまる水産物の流通経路の最上流に位置しています。どこで獲れた魚がどういう経路で販売されているのか。生産の現場で求められる水産業のデータの連携を推し進めるスマート水産業。その世界的な流れは、これまで以上に魚市場にとってもまだ見ぬ未開の水平線を目指しているようです。
※1 ICT:Information and Communication Technology(情報通信技術)」の略。ITよりもさらにコミュニケーションの重要性を強調している。
※2 水産物輸入監視制度/2018年1月から、漁業由来や偽装表示された水産物が米国の市場に流出することを防止する制度。米国に輸出する際には、製品の漁獲、陸揚げ段階の情報を提供する必要がある。
※3 ドルフィンセーフ認証/マグロやカツオが、イルカにダメージを与えず漁獲したことを認証する米国の法律に基づく制度。輸出には、船長の署名した書類が必要。
【取材協力】
気仙沼漁業協同組合
気仙沼市産業部水産課魚市場係
株式会社SJCソリューション事業部
(文=藤川典良 撮影=Funny!!平井慶祐)
※取材・撮影は2020年6月、2021年3月に行いました