独立、そして新たな挑戦へ。移住して漁師になった若者たちのその後

今、宮城県気仙沼市では「漁師になりたい」と移住してきた若手漁師たちが活躍しています。早い人だと漁師になって4年目を迎え、自分の船で漁ができるようになった人も。そんな先輩の背中を見て、漁師を志す若者も出てきています。

これまでも記事で気仙沼で漁師になった若者たちのことを紹介してきましたが、今回はその続編です。彼らはその後、どのような道を歩んでいるのでしょうか。漁業権の取得や船の購入など、独立に関することも含めて、2名の漁師にお話を聞きました。

<これまでの記事>
漁業研修がきっかけで漁師になる道がひらけた~海と生きるまち・気仙沼~
https://job.fishermanjapan.com/column/5336/ 

3年で10人の担い手が誕生!移住して気仙沼で漁師になった若者の働き方と将来の展望。
https://job.fishermanjapan.com/column/5348/

漁師4年目・石井洸平さん

牡蠣漁師4年目。なくてはならない存在に

最初にお話を聞いたのは、漁師になって4年目の石井洸平さんです。秋田県生まれで現在30歳の石井さんは、大学卒業後、京都で3年間の漁師経験を積み、気仙沼での漁業研修を経て、2021年9月に移住しました。

現在は気仙沼市大島の「ヤマヨ水産」に勤めています。牡蠣を中心に海産物の生産から加工、販売までを行う会社です。石井さんが船の上で手早く牡蠣を仕分ける様子や、水揚げした牡蠣をフォークリフトに積んであっという間に片付ける手際の良さは、まだ4年目とは思えないほど板についています。効率的な仕事ぶりや体力のタフさは周囲からも高く評価されていて、移住当初から石井さんをサポートしてきた親方の小松武さんは「先を見て動ける人です。今ではなくてはならない存在」と語ります。職場の人たちとのやりとりを見ても、頼りにされているのが伝わってきます。

自分の船で小漁を始めるまで

もともと「いつかは自分の船を持って漁をしたい」と独立の夢を持っていた石井さん。移住して2年が経った2023年10月には念願の漁業権を取得し、翌月11月から個人漁をスタートしました。現在は朝からお昼まではヤマヨ水産の仕事を、午後は自分の漁をするという働き方を確立しています。

「2023年の10月に漁業権について審査する会議があり、そこでやっと漁業権を取得することができました。知人から船を安く買わせてもらい、船をおろしたのが同年11月の始め。自分の船で初めて獲ったものを魚市場に水揚げしました。初めてのことだらけでしたね」


移住当初からサポートしてくれた人たちに市場への初出荷を報告した時の写真

漁業権を取得するまで約2年。時間がかかるように思うかもしれませんが、漁業の世界は地域に入って信頼関係を築くことが大切です。焦らずしっかりと進められるように、親方の小松さんが進め方や手続きについてたくさんサポートしてくれたそうです。

漁業権を取得するために大事にしていたことを聞くと、「地元の人たちとのコミュニケーションは積極的にとるようにしていました。自分だけでは進まないことなので、地域の人たちに自分のやっていることをよくわかってもらうことが大事だと思います」と教えてくれました。


石井さんを漁業研修の時からサポートし成長を見守るヤマヨ水産の小松武さん

1年で初期投資した分を回収

小漁に出るための船は、知人にあたって中古のものを数十万円で購入しました。「もう歳だからと漁師を辞める方も結構いて、船が余っているという情報があったので話を聞きにいきました」と石井さん。新品を買おうとするとエンジン代も含めて150万円ほどになってしまうところを、初期投資はなんとか安く抑えることに成功。自分で漁を始めて1年が経ち、船代や漁具代は回収できたそうです。

小漁のやり方は、ヤマヨ水産の先輩漁師たちに聞きながら、できるだけ自分で考えて手探りでやってみているそう。現在個人での収入は全体の三分の一。どのように小漁での収入を増やしていけるか、日々試行錯誤しています。

そんな中、漁師として向き合わねばならないのが気候変動です。近年の海水温の変化は目覚ましく、年々温度が上昇し一部の牡蠣が死滅してしまうなどの影響を受けていますが、石井さんはその状況すらも自らの成長に変えようとしています。

「自然相手に人間ができることって、そんなにないと思うので。だからこそ、どれだけ臨機応変に対応して商売をするかが漁業の醍醐味。真剣に考えていきます」と石井さんは言います。

先輩漁師がいる心強さ


右側が松影拓朗さん。牡蠣養殖を行うマルショウ水産に勤めている

石井さんの挑戦は後輩たちにも影響を与えています。2024年12月に三重県から移住し、大島のマルショウ水産で働く松影拓朗さんは、「石井さんは体力が底なしで、本当に憧れの存在」と語ります。頼れる先輩がいるのは心強いことです。石井さんが切り開いてきた若手漁師の道が、確かにここにあります。

石井さんに、これから漁師を目指す人に向けてメッセージをお願いすると「仕事はあくまで人生の一部です。だからこそ、後悔しないように自由にやってください」とのこと。

先人たちへの敬意を忘れず、自分の仕事をより質の高いものにしようと追求する石井さんの姿は、これからも漁師を志す若者たちの憧れの背中であり続けるのだと思います。

漁師2年目・大畑直樹さん

海の近くで暮らしたかった

2人目にお話を伺ったのは、気仙沼市大谷の「日門定置網」で働く漁師2年目の大畑直樹さん。千葉県出身、現在24歳です。もともと漁業に強い関心があったわけではなく、「海の近くで暮らしたい」という漠然とした願いから漁師への道が開いていきました。

「新型コロナウイルスの感染拡大で大学の授業がリモートになり、自分の将来について考える時間が増えました。料理が好きだったのと、自分で魚を獲って食べてみたいという思いが強くなり、漁業に興味を持つようになりました」

求人情報や研修プログラムを調べるうちに気仙沼での漁業研修を見つけ、思い切って参加することに。実際に海に出て、さまざま漁法や魚種を学びながら「自分でもやれるのか」という手応えを確かめました。また、いくつかの船に乗せてもらったことが今の漁師生活の納得感につながっているそうです。

「船によってルールも価値観も全然違うので、漁業研修でいろんな船に乗って自分に合う船を確かめられたのがとても良かったです」と大畑さんは話します。
その漁業研修を通じて出会ったのが、「未利用魚」の存在でした。

魚を美味しく食べてもらいたい

「小さかったり市場価値が低い魚が捨てられてしまうこともあると知って、もったいないと感じました。もともと料理が好きだったので、『この魚をどうにか活用できないか』という思いが強くなったんです」

大畑さんは現在、未利用魚を活用した料理を提供するイベントを定期的に開催しています。ゆくゆくは自分で獲った魚や信頼する漁師さんが取った魚を調理して提供できるお店をしたいと考えています。

「魚の価値を高めていきたいので、美味しく食べてもらいたいんです。余計な味付けはせず、シンプルにすることで素材の良さを感じてもらえるようにしています。自分はそれが一番美味しいと思ってるんです」


東京で魚を料理して提供するイベントを開催した大畑さん

漁も仕事も持続可能に

漁師としては2年目。「まだまだ勉強中です」と大畑さんは話します。

「一つわかったらまたわからないことがどんどん出てくるので、慣れたとは言えないかもしれません。それでも少しずつできることが増えてきましたし、自分がやりたい料理のことも考えられるようになってきました」

大畑さんが働く日門定置網は、持続可能な漁業を追求しています。船にはいつでもゴミを回収できるようにゴミ袋が設置してあり、獲れた魚の中でまだ小さい魚はそのまま獲らずに沖に逃すなど、魚にも環境にも優しい漁業を大事にしています。

「魚や海を大切にする船に乗っているからこそ、自分が提供する料理もそうありたい」と大畑さんは話します。

漁師としての新しいあり方

漁師の仕事は体力勝負で厳しい一面もありますが、その分ご褒美もあります。

「自分にとっての漁師の醍醐味は、自分で獲った魚を食べる瞬間。船の上で作る味噌汁や、市場から港に戻ってみんなで食べるご飯は格別です。それに、きれいな朝日と海を見るたびに、この仕事を選んでよかったと思います」

これからの漁業は、単に魚を獲るだけではなく、海の環境を守る意識を持ちながら営む必要があります。大畑さんは「海は漁師だけのものではないと思うので、環境を守りながら、情報発信や料理を提供するイベントなどを通して魚の価値を高める活動を続けていきたいです」と話します。

自ら積極的に外へ出て地域の人とコミュニケーションをとり、自分が感動した魚のおいしさを広く伝えようと楽しそうに活動する大畑さんに、漁師としての新しいあり方を教えてもらいました。

漁師になりたいあなたをサポートします!


左が根岸えまさん。漁師としてのキャリアの相談に乗ったり、生活面でも困ったことがあれば相談に乗ってくれる

「漁師になりたいけれど何から始めればいいかわからない」「自分にできるのか不安」と思っている方もいるのではないでしょうか。気仙沼では、その一歩を全力でサポートする人々がいます。「一般社団法人歓迎プロデュース」の皆さんです。今回は、漁業研修の受け入れをしているスタッフの根岸えまさんにお話を伺いました。今回お話を聞いた石井さんと大畑さんも、えまさんのサポートのもと就業しており、今も大事な支えになっていると言います。

「いきなり漁師になるのはハードルもあるので、短期研修をして、体力的にも漁師になれそうかを見てもらう時間をつくっています。研修を経て『漁師になりたい』という人は、家探しをサポートしたり、同世代とのつながりをつくる交流会を企画したり。その後も気仙沼でやりたいことをしながら漁師を続けることができるようサポートしています」


大畑さんの東京出張イベントを一緒に企画し運営したえまさん

漁師は自然と対峙する厳しい仕事。気候変動や海水温の上昇で、今まで通りのやり方では続かない産業になっています。だからこそ、「これからは新しいアイデアや視点を持つ人が必要」と話すえまさん。

「漁業をやったことない人こそ、新鮮な目線で考えることができるかもしれません。そして、本当に好きでないと続かない仕事だからこそ、やりがいもある仕事です。漁師として働くといろいろな景色が見られるし、いろいろな考え方も生まれます。興味があれば、まずはやってみてもらいたいと思います。全力でサポートします!」

気仙沼で漁師になりませんか?

気仙沼には、石井さんや大畑さんのように自分のやりたいことに挑戦している若手漁師たちがいます。漁師になるまではもちろん、漁師になってからもチャレンジをサポートしてくれる人たちがいて、サポート体制に充実しています。先輩漁師たちと話す機会もありますよ。

少しでも「海に関わる仕事がしたい」「漁師ってかっこいい」と思った方はぜひ、日本一漁師さんを大切にするまち・気仙沼で短期研修や体験プログラムに参加してみませんか?海も、先輩漁師たちも、いつでもあなたを待っています。

文:佐藤文香 写真:菅原結衣・武藤恵理子・平井慶祐

 

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