海からはじまる物語


石巻市街地から車で40分。
ぐるりと山に囲まれた場所に、その海はあります。

2005年に石巻市と合併した旧雄勝町は、ホタテや銀鮭などの養殖が盛んな漁業の町。
太平洋に面し、町の面積の8割が山林という、山と海に抱かれた小さな町です。

「音とかにおいとか、風とかね。あぁ、これ。この海だって思うんだよね」

雄勝湾にある小島地区。
この浜でホタテや銀鮭などの養殖業を営むのが、佐藤一さん(以下、はじめさん)。
船の名前は「大洋丸」。

「たいようまる」という言葉を聴いたとき、なんてぴったりな名前なんだろう!と思ったことを、今でも覚えています。「太陽丸」と頭の中で間違って変換してしまうほど、はじめさんの周りにはいつも人が集まっていて賑やか。温かい空気に満ち溢れています。

(写真/Funny!!平井慶祐)

はじめさんのおじいさまは、八百屋兼小型漁船の漁師でした。
コウナゴ、イサダ、カレイ、秋鮭、真鱈……
子供の頃から季節折々の魚が食卓には並んでいたそうです。

「小学生の夏休みにはね、イカ釣り船に一緒に乗っていくの。夕方出航して、一晩船の上で過ごして、そのまま市場に。船酔いして、ほとんど寝てるんだけどね(笑)。それでもやっぱり、また一緒に乗っていくんだよね。その頃から海が好きだったんだと思う」

お父さまの代になると、より安定性を求めて、地域全体が漁船漁業から養殖業へとシフトしていきます。高校を卒業したはじめさんが本格的に仕事を手伝うようになってから、ほかにもいろいろやってみよう!と養殖物の種類が増え、規模も大きくなっていったそう。現在、ホタテや銀鮭のほかに、ホヤ、岩牡蠣、秋鮭の定置網と、幅広く漁業を営むはじめさんですが、ひとりでこれだけ掛け持ちしているのは珍しいことです。

はじめさんは高校を卒業してからずっと、この浜で漁業を営んできました。

漁師の息子であれば当然のことと思われがちですが、漁師の家系に生まれたとしても、一度は他の船に乗ったり、全く違う陸の仕事に就く人も多いのが現実。漁業が盛んなこの町においてもそれは例外ではなく、「たぶん、自分くらいなんじゃないかな」と、はじめさんは言います。

もちろん、漁業を辞めようと思った時期もあります。

「でもね……。震災があって、この町の外の仮設住宅で暮らしてたときに、すごく浜の風が恋しくなって。瓦礫やヘドロの片付けが終わって、ようやく浜がきれいになったときに、あぁ、これだ。この海だって思ったんだよね。自分はやっぱり、この浜で暮らしていきたいって」

漁師の担い手不足や高齢化が進む中、49歳になるはじめさんは、まだまだ「若手」。
それでいて、漁師歴は30年。

若手からも上の世代からも頼られる存在であり、その親しみやすい人柄を慕って、漁師はもちろん、さまざまな人が今日も彼のもとに訪れます。

 

漁師学校で、運命(?)の出会い!

はじめさんのもとに、牡鹿漁師学校×TRITON SCHOOL(運営:フィッシャーマン・ジャパン、筑波大学、宮城県漁協雄勝湾支所)の講師の話が舞い込んだのは、2017年初夏のことでした。

一般の人に向けての漁業体験をやることはあっても、漁師になりたいという人に教えるのははじめてのこと。戸惑いながらも、参加者5名を迎え入れ、2日を通して漁業のあれこれを指導しました。その参加者の中に、ひとりだけ熱い視線を向ける若者がいたとは、知る由もありません。

「彼の印象?正直薄かったですね。もしかしたら5人の中でいちばん印象にないかも(笑)」

三浦大輝くん(23歳)。大阪生まれ、大阪育ち。

その年の春に大学を卒業し、証券会社に勤務しましたが、「何かが違う」と違和感を感じ、1ヶ月で退職。

「もともと1次産業に興味があったんです。漁業をやってみたいと思って、いろいろ調べて。とりあえず現場を見てみようと思って漁師学校に参加したんですけど。はじめさんの話聞いてたら、いろんなことやってるし、すごいなぁ、この人のとこで働きたいなぁって。直感です(笑)」

一方、漁師学校が終わった翌日にラブコールを受けたはじめさん。
当時、従業員を募集していたわけではなかったため、人を雇うということにとても悩んだのだとか。

「もうね、8割は男気だよね。だって履歴書に『佐藤さんのもとで働きたい』って書いてあるんだもん(笑)」

受け入れを決意したはじめさんのもとに三浦くんがやって来たのは、漁師学校の1ヶ月後のこと。大型台風と進路を共にしながら(嵐を引き連れ)、愛車「なにわ号」でやって来たのでした。

新たな養殖、はじめます!?

さまざまな漁業を手がけるはじめさんのもとでは、覚える仕事は山ほどあります。

夏は銀鮭とホヤの水揚げ。春から冬にかけては、ホタテの水揚げもあります。
秋鮭の定置網が終わる頃、来シーズンへ向けて銀鮭の稚魚入れがあり、毎朝の餌やりがスタート。冬の訪れとともに、ホタテの半成貝がやって来て、牡蠣の水揚げもはじまって……
三浦くんがやって来た8月から、目まぐるしく季節が駆け抜けていきます。

「覚えることがたくさんで。ここにいると、時間の流れが速いんです(笑)」

はじめさんは、三浦くんと働いてみてどうですか?

「なんでも一生懸命で、教え甲斐があるよ。張り合いもあるし」

そんな三浦くんのもうひとつのライフワークは、「筋肉を鍛えること」。
作業小屋に設置したお手製のトレーニングジムで、毎日せっせと体を鍛えています。
そのストイックさで、最近では「筋肉キャラ」としてもすっかりおなじみ。

よく働き、よき鍛え、そしてよく食べます!!

地元の飲食店では、三浦くんが来てからお米の減りが早くなったという嬉しい悲鳴も。ちなみにはじめさんが手がける海産物の中では、ホタテがいちばん好物だそう。

そのことを聞いたはじめさん、思わず苦笑い。

「ホタテのシーズンになると、毎日飽きもせずにホタテ食べるの。このホタテ代、どこに請求したらいい(笑)?」

ある日の朝ごはん(写真/三浦くん)

「おっきくて甘くてプリプリで。貝柱だけじゃなくて、ヒモもおいしいんです!」と、三浦くんが惚れ込んだ雄勝のホタテ。

それもそのはず。
雄勝では、品質の良いホタテをつくるために、地域でホタテの養殖棚に関してルールを決め、それをみんなで守っているのです。

さて、食べ盛りの青年を従業員に抱えたはじめさん。

それまで朝ごはんは食べたり食べなかったりだったそうですが、三浦くんを気遣い、朝仕事のあとに一緒にごはんを食べる時間をつくるようにしました。
料理は交代で自炊です。

「はじめさん!鶏ムネ肉と鯖をチンしてみました!」
「(なんだよその組み合わせと思いつつ)……鶏肉、火通ってるの?」
「あ、ちょっと赤いです!」
「……」

いままで料理をしたことがなかった三浦くん。
塩と砂糖を1週間まちがえ続けこともありました。
魚の煮付け、あら汁、カキフライの作り方。はじめさんの指導は漁業だけでなく、料理にも及びました。

「ご飯を5合炊けば、4合は大輝の胃に収まる。もうね、新たな養殖物を増やしたようなもんだよね(笑)」

その後、料理の腕をめきめきとあげた三浦くんのことを、「作ってくれるもの、なんでもおいしいよ」と、新婚さんのように自慢するはじめさん。

こんなことがあったよ、と話を聞くたびに、なんだかほっこりしてしまう、そんな名コンビになりつつあります。


この浜で生きる

実ははじめさん、漁師学校の1ヶ月ほど前に、お父様を亡くされました。

漁師である偉大な父の背中は、はじめさんにとっての道標であり、体調を崩されるまでずっと一緒に仕事をしてきた大切なパートナーでもありました。

気丈に振る舞いつつも、心にぽっかり穴があいてしまったような喪失感があったと言います。

「でも、そのあとすぐに漁師学校があって、そして大輝が来て。そっからまたいろんな人が来るようになって……すごい賑やかだった。気が紛れたというか。前に進めよ、って。親父が導いてくれたのかな」

過疎、高齢化、担い手不足。
漁業が抱える問題は数知れませんが、こうして漁業をやりたい!と思ってくれる若者がいることは、漁業従事者として純粋に嬉しい、とはじめさんは語ります。

しかしながら、漁業の新規参入者に関しては、周りの漁業者から厳しい目を向けられるのが現実。地域にきちんと根ざし、周りからも認めてもらえてる漁師に育てることが、はじめさんの今の目標です。

「毎日元気に挨拶をしなさい」

はじめさんが、いちばん最初に三浦くんに教えたことです。
これは当たり前のことではありますが、小さな町だからこそ、とても大切なことなのです。

「おはようございます!」
「お疲れ様です!」
「この間はありがとうございました!」

顔を覚えてくれていても、いなくても、会った人には必ず元気に挨拶をします。
「おー、おはよう!」
「これ持って行きな!」
「ちょっと手伝ってくれない?」

素直で明るい三浦くんを、少しずつ地域の人も受け入れ、今ではすっかり愛されキャラになりました。三浦くん自身、青年部の活動や地域のサークル、お祭りなどに積極的に参加するなど、地域に溶け込もうとしています。

そして、少しでも仕事の幅を増やせるようにと、船舶免許も取得しました。

「一つひとつ仕事を覚えて、もっといろいろ仕事を任せてもらえるように。目標は、そうですね……はじめさんみたいな漁師になることです。すみません、今、言わされました(笑)」

気負わず、焦らず。
しっかり頑張っていきたいと、思いを語ります。
そのそばにはいつも、温かく見守るはじめさんの姿があります。

「まずは、俺の右腕に育ってくれるといいな。そしていつか、一人前の漁師にしてやりたい。根気強く頑張ってもらいたいね。この海の、この浜の、音とかにおいとか風とか。そういうものが体に染み付くまで」

2019年2月。爽やかなニュースが浜々を駆け巡りました。
三浦くんが、地域の推薦を得て、准組合員(共同漁業権)の資格を取得したのです。

新規参入者への漁業権の認可はまだまだ消極的な風潮がある中でのスピード取得。
TRITON PROJECTとしても、初の准組合員の誕生となりました。

そして、2020年10月。
ついに正組合員(区画漁業権)資格を取得し、地域のいち養殖漁師に認められました。地域にとっても初めての事例となります。

これがゴールではなく、スタート。
ようやくスタートラインに立った三浦くんの、漁師としての挑戦がここからはじまります。

漁師になりたいと飛び込んできた若者と、それを受け入れた一人の漁師。
そして、彼を迎え入れた地域のひとびと。
少しずつ、小さな浜の未来が変わろうとしています。

毎日の笑い話も失敗も、ささやかな戸惑いも喜びも。
一つひとつがここにしかない、とびきりのエピソード。

今日もこの海が、2人の物語を優しく紡いでいます。

※2018年3月に掲載したものを再編集しました。
(写真・文/高橋由季)

 

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