




【宮城/漁師求人/養殖】最高の海と生きる。ホタテ漁師の決意。
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山と海に抱かれて
石巻市街地から車で40分。
雄大な北上川を横目に車を走らせ、釜谷トンネルを抜ければ、南三陸金華山国定公園の南端に位置する雄勝地区にたどり着きます。
2005年に石巻市と合併した旧雄勝町は、ホタテやカキなどの養殖がさかんな漁業の町。太平洋に面し、そして町の面積の8割が山林という、山と海に抱かれた小さな町です。かつては雄勝湾をぐるりと囲むように、家々や小さな商店が肩を並べていました。
膝丈ほど伸びた草の陰から見え隠れする家屋の基礎が、そこにあった暮らしを物語ります。
震災前、4,300人ほどだった町の人口は、2017年5月現在、1,738人にまで減少してしまいました。
ほんの少し寂しさを覚えながら車の窓を開けると、心地よい潮風が頰をくすぐり、うみねこの鳴き声と一緒に、カラカラとした笑い声が聴こえてきます。
目に飛び込んでくるのは、山々の緑と、澄んだ海の青。
どこまでも力強い、生命の色です。
大きく変わった町の景色。
それでも変わらないものが、この町にはあります。
海の忍者。その正体やいかに。
漁師歴50年。
雄勝地区の立浜でホタテの養殖を行う阿部賢市朗さん(68)は、震災前はカツオ漁の餌として使う、カタクチイワシの定置網漁も行っていました。
震災後はホタテの養殖に専念。
養殖棚を3台増やし、全部で28台となった養殖棚を、1人で管理しています。
「私たちが子供の頃にはね、このあたりの浜ごとに、カツオ船やマグロ船、サンマ船なんかの大きい船も港に泊まってたんです。遠洋漁業に行くような、大きな船の船主さんたちが、この町にもいたんですよね。子供たちも、小さい頃から船に乗ったり手伝ったり、走り回ったりしていて。その横で、船を降りた年寄りたちが釣りをしていたり……。とにかく賑やかでした。ここの浜にも、震災前は堤防の陰にずらーっと家がね、建ってたんです」
穏やかな口調に、優しい笑顔。
漁師の息子としてこの町に生まれ、この町の海とともに生きてきた阿部さんですが、“海の男”という言葉が持つ豪快なイメージとは、少し違っているようです。
温和で堅実。そして、真面目。
阿部さんには、そんな言葉がよく似合います。
それでも船に乗り、海に出ればまるで別人。
どんなに足場が悪くても、ひょいひょいっと飛び越え、気がつくとさっきとは違う場所からひょっこり現れたり……いきいきと船の上を駆け回ります
「実はね、忍者なんだよ」と、茶目っ気もたっぷり。
そんな阿部さんのユニフォームは、あるときは合羽、またあるときは、スーツ。
阿部さんは、雄勝湾地区の漁師を取りまとめる運営委員長として、地域の漁業の発展のため、日々、海と陸を奔走しているのです。
妥協しない、ホタテへのこだわり
ホタテは1年を通して出荷作業があります。
特に忙しいのは年末。
次のシーズンに向けての種の準備をするのですが、買い付けしたホタテの種は深夜に現地から届くため、寒さをこらえ、また睡眠時間を削っての厳しい作業となります。
「この雄勝湾は、ホタテの養殖には最高の海です。小さい割に水深が深い。そして、すぐそばに切り立った山があるから、森の栄養分……ミネラルを蓄えた水が伏流水として海に注いでいるんです。だから、いいホタテができる。雄勝のホタテはとにかくうまい!ってみんな言うね」
雄勝のホタテは、プリッとした大きくてやわらかな身と、ふわっと口のなかに広がる甘みが特徴。一口食べたらファンになってしまう味です。
母なる海と山が育んだ極上のホタテですが、おいしさの秘密はそれだけではありません。
そこには、漁師たちの熱いこだわりがありました。
「雄勝では垂下式という方法で養殖をしていますが、1本のロープにつけるピンは80ピンと決まっています。それを2個ずつぶら下げるから160個が限度。ホタテを下げる間隔も、60cm以上とかね。そういうルールを決めてやっているのは、県内では雄勝だけ。いろいろやってみた結果、これがベストだとわかったんです。ほかの地域は、漁師ごとに間隔やぶら下げる数が異なります。結局のところ、いっぱいぶら下げれば、その分たくさんつくれるわけだけど、漁師が無理をすればするほど、品質が落ちる。貝が大きく育たないから、栄養分も少ない、厚みもないホタテになってしまうんです。ここでは、みんなでこだわってつくっているので、味も評判もいいんですよ」
雄勝では10年ほど前から、ホタテの養殖に関してさまざまなルールを決め、そのルールのもと、ホタテを育てています。ルールを決めることは一見簡単なようですが、いろいろな考えをもつ漁師がいるなかで、それを守ることはなかなか難しいこと。しかしここでは、「品質のよいホタテをつくりたい」という漁師たちの熱い思いと、プライドによって、この取り組みが実現しているのです。
阿部さんは語ります。
「ただ育てればいいってわけじゃない。漁師はなんでも工夫して、努力してやらないと」
運命と使命の狭間で
震災前、阿部さんの住む立浜には、60軒ほどの家がありました。
現在この浜に残って暮らしているのは、17軒。
そのうち、ホタテなどの養殖を生業とする人たちは12人ほどです。
「あの津波で、家から何から全部流されてしまいました。みんな仕事に関しては……諦めてましたね。資材もなにもかもなくなったわけですから。あとは、高齢ということもありましたし……。私自身、被災して2、3日は、あぁもうダメだなぁと思ってました。でもね、とにかくなんとかしなきゃねぇ!って思ったんです。というのも、その震災の2年前に運営委員長になったものだから、自分が逃げるわけにはいかなかった。とにかく漁業の再開を目指して、あちこち走り回りました。それで、国や市の助成金なんかを受けながら、その年の秋には筏を張って、種を買い付けして。震災の翌年5月に、ホタテを出荷できたんです。あれは、うれしかったですね」
震災をみんなで乗り越え、現在この立浜には20代、30代の後継者も育ってきています。
「おじいさんの姿を見て、孫が跡を継いだっていうのも最近あったんですよ。若い人が入ってくると、やっぱりうれしいですよね。年寄りも、ますます元気になりますから(笑)」
後継者のいない阿部さんは、その漁師生活で得た知識や技術、そしてその心意気を若い世代に伝えるため、今回新たに担い手を募集することを決めました。
「外から来る人を受け入れるということに、もちろん不安はあります。でも、期待もある。結局、自分のところだけでなく、後継者がいない漁師がいることは事実なんです。だから、まずは自分が育ててみようと思って」
こうして求人を出すのは、雄勝地区では、初めての試み。
阿部さんは常にこの地域の未来を見据えています。
若い世代へ伝えたいこと
初めてといえば、もうひとつ。
この夏、雄勝地区で初めて、漁師になりたい若者を対象にした漁師学校が開かれました。阿部さんも地区の運営委員長として、そして何より地元のいち漁師として、熱心に若者の指導にあたりました。
最終日のワークショップが終わったときのこと。阿部さんから参加者にこんな言葉がありました。
「漁師はね、ぬるくないよ。生半可な気持ちじゃやっていけない」
とても静かに、はっきりと。
その言葉には、厳しさが込められていました。
そして一瞬の沈黙のあと、こう続けました。
「それでもね、やっていきたいと思うなら、またここに来てください」
人生の半分以上の年月と、すべての情熱をこの海に注いできた阿部さんの言葉は、どこまでも深く、そしていつも温かさを孕んでいます。
……阿部さん、どんな人と一緒に働きたいですか?
「そうだねぇ。真面目で素直で、元気な子。一生懸命な人がいいですね」
……なんだかそれじゃ、お嫁さんの条件みたいじゃないですか(笑)。
一緒に笑いながら浜を歩くと、より一層、辺りの緑と、青の気配が濃くなった気がしました。
*
「おー、いいんちょうさーん!」
阿部さんを見かけると、みんなが手を振ります。
阿部さんのまわりに流れる、穏やかで、温かな雰囲気は、目の前に広がる雄勝湾のようです。
見つめるその先に、いつもこの海があります。
「この海は最高の海だ」
キラキラ輝く海と、プカプカと浮かぶカラフルな浮き玉。
でも阿部さんが今見つめているものは、もっと先の、違う景色なのかもしれません。
文/高橋由季 撮影/Funny!!平井慶祐、高橋由季
※取材・撮影は2017年6月および2013年6月に行いました。
募集職種 | 漁師 |
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雇用形態 | 正社員・フルタイム |
給与 | 月収20万円~ ※3ヶ月の試用期間中は月収18万円 ※歩合給あり |
勤務地 | 宮城県石巻市雄勝町 |
勤務時間 | 10〜12月 2:00〜12:00、1〜9月 8:00〜16:00 |
休日休暇 | 土曜、お盆、年末年始、荒天日 |
募集期間 | 2017年10月01日(日)~2018年03月01日(木) |
会社名 | 龍神丸 |
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住所 | 石巻市雄勝町立浜 |
社員数 | 2人 |
選考方法 | ※新型コロナウィルス感染拡大防止措置として、現地対応(面談・研修)の受け入れ時期を慎重に判断させていただいております。お電話やビデオ電話などでの企業説明や相談なども行っていますので、まずはお気軽にお問い合わせください。 応募 ▼ フィッシャーマン・ジャパン担当より電話にて連絡 ▼ 写真付履歴書の提出(書類選考) ▼ 電話もしくはビデオ電話にて面談 ▼ 現地面談 現地研修(1週間程度) ▼ 内定 |
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