【宮城/漁師求人/漁船】小型底びき網船の未来に夢を託して

世界三大漁場・金華山沖に近い石巻魚市場は、年間200種類もの魚が水揚げされる日本有数の魚市場。毎日大小さまざまな漁船が水揚げを行います。

石巻の漁業に欠かせない漁船のひとつが、底びき網船。
別名トロール船と呼ばれ、魚市場の水揚高を支える大切な存在です。

「底びき網は、鍋をかけてても魚が入るって冗談で言われるくらい、何かしら入る漁法。いろんな魚が入るのでおもしろいし、狙った魚が入るとやっぱり嬉しい。魚をとってなんぼの仕事だからね」

楽しそうに語るのは、小型底びき網船「第三十八 黄金丸(こがねまる)」の船主・安海繁男さん(62歳)。底びき網船が多く所属している渡波漁船漁業組合の組合長も務めています。

黄金丸のメンバーは、弟の久喜さん(54歳)、息子の繁哉さん(25歳)、そしてインドネシアから迎え入れた外国人実習生。繁男さんは、今回乗組員を募集する経緯をこのように話します。

「小型底びき網船のほとんどの船が、外国人実習生に頼らざるを得ない状況です。もちろん彼らの存在はありがたい。でも彼らを指導できる現場の人間もどんどん高齢化しているんです。自分たちが元気で働けるうちに、世代交代を見据えて若い世代を育てていかなくてはいけないなと」

募集に至った背景には、息子・繁哉さんへの思いがありました。

父の背中に憧れて

漁師の息子として生まれ、小さな頃から海が大好きだったという繁男さん。
幼き日の記憶を手繰り寄せると、漁師である父の背中を追いかけ回していたことが思い浮かびます。当たり前のように、いつか自分も父親のような漁師になると思っていました。

繁男さんの向上心は止まることを知らず、水産高校を卒業したあとは、4年ほど大きな船へ武者修行に。

「カツオ船、大目流し網、北洋トロール。いろんな船に乗りました。仲間同士でワイワイやって楽しかったですね。しんどいことも正直あったけど、そのときの経験っていうのが、ずーっと自分の中で生きてるんです。やっぱり何事も経験ですね」

武者修行から戻り、父の船を手伝いはじめますが、38歳のときに一大決心。
独立して自分の船を持ちました。
2010年3月には最新の冷蔵設備が整った新しい船を1億円かけて造船。
船を新造し、ちょうど1年。さぁこれからというときに、あの震災が起きました。

「船もダメ。自宅もダメ。なにより親を亡くしたのが辛かったですね……とにかくがっかりしてしまって」

当時、繁男さんは52歳。
漁師として、まだまだ稼ぎどきの年齢です。

「ショックが大きくてきつかったんだけど、子供たちもまだ小さかったので……。頑張らなくちゃいけなかった」

そんな父の葛藤をそばで見ていたのが、水産高校に入学したばかりの繁哉さんでした。

「それまで船の近くにすら行ったことがなくて。水産高校に行ったのも、家から近いという理由だった。でも震災があって、親父が必死でやろうとする姿を見て、俺もやろうって。ほかにやってみたい仕事もなかったし、漁師の息子として生まれたからには、俺がやらなくちゃって思ったんです」

漁師とは思えないくらい穏やかな口調で語る繁哉さん。
横で話を聞いていた繁男さんが、「こいつは優しすぎるんだ。もっと欲があったほうがいいんだけど」と茶々を入れますが、なんだかそれが照れ隠しのように聞こえて、嬉しかったんじゃないですか?と問いかけてみました。

「そりゃ嬉しかった。息子だもの。でも息子だから、心配でもあった。楽な仕事ではない。これから大変だぞ、って」

そして高校を卒業する春、繁哉さんは生まれて初めて父の船に乗りました。

「実はそれまでバイトとかもしたことなくて。船がどうこうじゃなくて、働くことってこんなに大変なんだなと。きつくて何回も挫けそうになって。船酔いとかよりも、働くことの厳しさを実感しました」

震災から10年。
当時高校1年生だった繁哉さんは25歳となり、立派な青年となりました。
繁男さんはこれから先の世代交代を見据え、息子へ船主として必要なことを教えながら、彼と一緒に長く船に乗ってくれる若者を育てたいと思っています。

「自分もいろんな船に乗ったからわかるんだけど。同世代の仲間と一緒に働く楽しさをね、味わせてやりたいんですよ」

いつか船を受け継がせるその日まで。父として、そして船主として。
全力で若者たちをサポートしていきたいと繁男さんは考えています。

仕事の極意は、とにかく寝ること?

乗船して7年目となる息子の繁哉さんは、これから新しく若者を迎える上で少し心配なこともあるそうです。

「初めて船に乗る人は、慣れるまでしんどいと思います。危険を伴うし、仕事へのプライドもこだわりもあるから、漁師は船の上では強い口調になる。厳しい言葉も飛び交います。自分も今でも怒鳴られますね。それを気にしすぎないでほしいです。気にしてるとやってられませんから(笑)。若い子が入ったら、そのへんの部分もフォローしていけたらなと。なので、とにかくやる気のある人に来てもらいたいですね」

実は、底びき網船は乗船時間が長く、ハードな仕事と言われています。

下の仕事の流れを見ての通り、網を入れて船で引く時間が2時間ほどあるため、そのときに少しでも寝る(眠れなくても体を休める)時間を確保することが大事だと、繁哉さんは言います。

網あげは多いときは4〜5回ありますが、午前中だけの操業の場合や、風がある日は船主同士で相談して操業を見合わせるという日もあります。

ハードではありますが、年間の操業日数は140日程度。
ひと月のうち半分も操業できればいいほうで、操業しない日は完全にお休み、もしくは陸作業となります。また、3〜4月は小型底びき網船が休漁期となり、黄金丸では陸作業やシラス漁がメインとなります。

働く日、休む日のメリハリがある仕事と捉えて、家でも休息をしっかり取ることが仕事の極意と心得ましょう。

1日の終わりに見た漁師の横顔

夕方17時過ぎ。
1隻、また1隻と競うように船が魚市場の岸壁に入ってきます。
この時間に魚市場に入ってくるのは、黄金丸をはじめとする小型底びき網船。漁を終えて帰ってくるその姿は、少しホッとした雰囲気を漂わせています。

岸壁につくと、本日獲れた魚を氷水の入ったスカイタンクや樽にどんどん移していきます。

この時間は女性陣も大活躍。カラフルなカッパに身を包み、フォークリフトを颯爽と乗りこなして、漁師たちの1日の成果に労いの声をかけます。

この夕方の時間帯の魚市場の賑わいも、石巻魚市場ならではの光景。
みんなで協力して、手際よく魚の入ったタンクを市場の場内へ運んでいきます。

夕方の作業としては、魚を船から移し、翌日の操業のために船をきれいにして氷を積むところまで。漁師たちは魚市場をあとにして、港へ船を停めて帰路へつきます。

そして、深夜1時半。

街灯もない、真っ暗な渡波漁港で真っ先に灯りがつくのが、黄金丸です。
決まって一番最初にやって来るのが、繁男さんの弟・久喜さん。

長年、黄金丸で苦楽をともにしてきたということもあり、仕事へのこだわりも人一倍。ぬかりなく、出港前のチェックをしていきます。

1時50分。

渡波漁港に止まっている小型底びき網船の3隻が、端から順番に遅れをとることなく出港していきます。重低音を響かせながら、1隻、また1隻と、旋回をして岸壁から離れていく船。

空との境界もわからない漆黒の海に、船はぐんぐん進んでいき、3隻の船の灯りが小さくなっていくと、何事もなかったかのようにあたりに静けさが戻りました。

人々が深い眠りにつく「終わり」の時間が、安海さん家族にとって「はじまり」の時間。今日はどんな海のドラマが待ち構えているのでしょうか。

さまざまな困難を乗り越え、世代交代に挑戦する黄金丸。
未来の船主とともに、一緒にこの船を乗り継いでくれる新たな若者の挑戦をお待ちしています。

(文・撮影=高橋由季 イラスト=白田亜悠)
※取材は2021年6月に行いました。

募集情報
募集職種 小型底引き網船の漁師
雇用形態 正社員
給与 月給25万円
※最低月額保証25万円〜(見習い期間1年間は20万円)
※見習い期間終了後、歩合給あり
※年間の水揚額によって特別奨励金あり(年1回)
仕事内容 小型底引き網
勤務地 宮城県石巻市渡波
勤務時間 2:00〜18:00(実働8時間程度)
休日休暇 5〜11月は土曜休み、12〜2月は土曜か日曜いずれか休み (基本は石巻魚市場営業カレンダーに基づく)、そのほか荒天時
その他 乗船中は食料支給
会社情報
会社名 第三十八 黄金丸
選考方法
選考方法 TRITON JOBから応募いただきます

TRITON PROJECTよりメールにて連絡をします

TRITON PROJECT 公式LINEを追加いただき、チャットにてやりとりを開始

LINE内で、サポート窓口と電話での簡易面談

LINE内で、エントリーシートの提出をお願いします

書類選考・応募先との電話面談などの調整をします。

合否についてご連絡が入ります。

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