学校生活の楽しみと言えば給食の時間。子どもたちの「美味しい!」の笑顔のために、学校給食向けの魚料理を半世紀にわたり作り続けているのが、岩手県沿岸部のまち釜石市にある津田商店です。「鉄と魚とラグビーのまち」を掲げる釜石で、昭和8(1933)年に創業した水産加工業の老舗は、全国の給食の現場で働く調理師や教員のあいだでは、よく知られた存在です。
◆がれきの中から資料を集め~1年後に工場再建◆
釜石市北部の鵜住居町。市の中心部から車で約10分の本社と工場で業務が始まったのは2012年春。東日本大震災からちょうど1年たつころでした。震災前、釜石市内にあった本社と北隣の大槌町の工場は、震災の津波で流出、5名の従業員を失いました。
「祖父の代からの津田商店を自分の代で終わりにする選択肢はなかった」と振り返るのは、津田保之社長。大学卒業後、食品商社で営業職を経験した後に釜石にUターン、1998年に社長に就任しました。「うちは社長以下、みんな大人しい社風」と温厚で控えめな津田社長ですが、会社存続の決断の速さは、長年勤める社員も目を見張るほどでした。
震災から数日のうちに工場再建を決意し、無事を確認できた社員とともに、がれきの中から業務に関する資料の捜索を始めました。
1年後、鵜住居町に完成した工場は、給食を中心とした冷凍食品部門とOEM(受注生産)メインの缶詰部門からなり、それぞれ魚の下処理から製品の出荷までを担っています。
◆少子化の時代に~学校給食で販路を拡大◆
津田商店が給食向けの冷凍食品の分野に参入したのは昭和50年ごろ。当時は三陸沖で豊富に水揚げされていたイワシ、サバ、サンマなど栄養価の高い青魚を丁寧に下処理し、焼き魚、煮魚、ホイル焼きなどレパートリー豊かな調理方法で加工。美味しさと栄養を兼ね備えた製品は九州を中心に西日本や中部地方の学校給食に採用されていきました。
その後、少子化が進む時代にもかかわらず、給食むけ冷凍食品の売上を着実に伸ばし続けています。その秘訣は、現地に駐在する営業担当者が給食の現場の声に耳を傾け、その声を製品に反映させていること。「同じ商品であっても、使う調味料は各地域の要望に合わせて、愛知なら八丁味噌、九州では地元の甘い醤油といった具合に使い分けています。統一できた方が効率的に生産できますが、それぞれの地域の子どもたちに地域の味覚を届けることが私たちの使命です」、津田社長はそう語ります。
日々、子どもたちに向き合っている現場とのコミュニケーションを重ねることにより、事業規模を成長させてきたのです。
子どもたちに人気のメニューは「サバのホイル焼き」。適度に脂ののったサバを高圧処理で骨まで柔らかくふっくらと調理し、独自調合のみそだれを掛けホイルで包んで焼いたこの商品は、愛知県東海市の成人式の新成人のあいさつで「給食で食べたホイル焼きの味が忘れられない」と思い出の味として紹介されたというエピソードも。被災し工場を休んでいた間には、全国の給食の現場から激励のメッセージや再開を望む声が寄せられました。
◆「自分の子どもに食べさせるつもりで」~工場全体で意識を合わせる◆
「全国の調理師さんや先生方からのお礼や感想の手紙が、社員のやりがいにつながっています」、そう話すのは、冷凍食品工場の課長・児玉学さん。「俯瞰してものごとを見られる冷静さと熱い思いを併せ持つ人材」と社内からの信頼が厚い児玉さんは入社15年目で、6人の課長職を統括するポジションです。安全な製品を安定的に作り続けるため、毎月の生産計画をもとに各週の計画を作成し、各ラインごとの工程を組み立て、70名のスタッフの人員の配置を決めます。
児玉さんは「毎週月曜日の全体朝礼では、自分たちの商品は子どもたちの身体をつくるものなんだということを繰り返し伝えています」。自分の子どもに食べさせるつもりで作る――。この意識を工場で働く全員に徹底しています。
管理職として一番大事にしているのは、“協調”だと言う児玉さん。「いくつもの工程がつながってようやくひとつの製品ができあがるので、それぞれの担当が普段から言いたいことを言い合えて、きちんとつながりを感じられる職場づくりを意識しています」。誰にでも隔てなくざっくばらんな児玉さんのもと、自由に意見を伝え合える雰囲気が醸成されています。
◆職場のつながりで地域になじむ~移住者、中途採用も活躍中◆
震災以降は継続して大卒採用に取り組んでいる津田商店。以前は中途採用メインで、児玉さんが入社したのは31歳の時。「製造業は未経験で、ましてや魚のことなんてまったく分からない。長く続いているから安定した会社なのかな……そんな気持ちで入社したというのが正直なところ」と振り返ります。
実は児玉さんは新潟県の出身で、東京で営業マンとして働いた後に、奥様の実家がある大槌町に移住した“婿ターン”。津田商店で働き始めて同僚から誘われて「釣りにドはまり」したり、震災前は同じ大槌工場で働く人たちと飲みに行ったりと、職場の人間関係を通して地域になじんでいったと言います。「仕事のつながりで地域に知り合いが増え、今の暮らしがある。職場で信頼できる人たちに出会えていなかったら、今の自分はありません」。
釣り好きが高じて「海の近くで働きたい」と入社した移住者や、大学時代の研究で釜石に通ったのが縁で入社した他県出身者もおり、もちろん未経験から転職し管理職に就いている社員も多数。多様な社員が活躍しているのも津田商店の特徴です。
◆ライフステージに応じた働き方目指し~面談で異動希望を把握◆
社員のモチベーション向上のため、毎年約180人の社員へのアンケート実施。異動の希望を聞き取っています。入社したばかりでも「会社の全体像を知るために様々な部署を経験したい」という希望や「今の部署でプロフェッショナルを目指したい」という希望など、さまざま。結婚や育児、介護などライフステージの変化に伴う希望も把握し、社員が継続的に働ける環境づくりに取り組んでいます。
「仕事の時は集中し、平日夜や休みの日はプライベートを充実させられるのもこの職場の良さ」と児玉さん。息子さんのスポーツ少年団や高校野球のサポートなど家族との時間をきちんと取れたのは、残業や休日出勤を最小限に抑える津田商店の環境があったから。「繁忙期以外は週末の出勤はなく、私自身も管理職として、社員には極力、残業はせず時間内に作業を終えるよう指示しています」。震災を契機に、数に頼らず生産性を上げるため業務の改善にも取り組んだ結果、効率的な働き方が徹底されていったのです。
◆変革期の水産加工業~未来を担う子どもたちの健康と笑顔のために◆
日本の水産加工業全体を見渡すと、サンマ、サケなどの長引く不漁や原料の高騰など、厳しい状況が続いています。一方で、学校給食をめぐっては、調理師など給食を担う人材の不足、白米給食の増加、ふるさと納税を活用した給食費の無償化などの環境変化によって、安全で美味しく、現場での調理が不要な魚のおかずはまだまだ需要が見込めます。
全国の給食の現場のニーズに耳を傾け、信頼関係を築いてきた津田商店だからこそ、挑戦できることがある。津田社長は「水産業の既成概念にとらわれず、異業種での経験や発想が活きるチャンス」と語ります。変革期を迎える水産加工業の課題に向き合いながら、子どもたちの健康と笑顔のための食をつくり続ける津田商店。日本の未来につながる仕事にチャレンジしてみませんか。
募集職種 | 食品製造(リーダー候補) |
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雇用形態 | 正社員・フルタイム |
給与 | 月収17万~21万円 ※経験、年齢など考慮の上相談して決定します 月収例 ・40歳(経験10年)30万円~35万円 昇給年1回, 賞与年2回 通勤手当、時間外勤務手当、住宅手当、家族手当 <参考> ・短大/専門/高専 卒業見込みの方 月給:174,720円 ・大学 卒業見込みの方 月給:205,440円 ・大学院 卒業見込みの方 月給:210,240円 |
福利厚生 | 家族手当, 残業手当, 財形貯蓄制度, 昇給あり, 住宅手当, 賞与あり, 通勤手当, 退職金制度有り, 社会保険完備 |
仕事内容 | 水産加工業, 現場作業管理, 製造 |
勤務地 | 岩手県釜石市鵜住居町 |
勤務時間 | 8:00~17:00(休憩:1時間) |
休日休暇 | 月8日以上※1ヵ月単位の変形労働時間、1ヵ月平均勤務日数21日 年間休日:113日 6か月経過後の年次有給休暇日数10日 休暇制度:夏季休暇、年末年始休暇、慶弔休暇、産前・産後休業、育児休業、介護休業 |
その他 | ≪仕事内容≫ 会社の要である工場を計画通り効率的に稼働させるための製造管理の仕事です。 安全な給食を届ける冷凍食品工場、OEMや自社商品を手掛ける缶詰工場、2つの工場で働く従業員とコミュニケーションを取り、適性を見ながら配置し、納期に合わせて安全な食品を届けるために進捗を管理します。 |
選考方法 | ※新型コロナウィルス感染拡大防止措置として、現地対応(面談・研修)の受け入れ時期を慎重に判断させていただいております。お電話やビデオ電話などでの企業説明や相談なども行っていますので、まずはお気軽にお問い合わせください。 <応募フロー> ▼ フィッシャーマン・ジャパン担当より電話にて連絡 ▼ 写真付履歴書の提出(書類選考) ▼ 電話もしくはビデオ電話にて面談 ▼ 現地面談 ▼ 内定 |
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