宮城県気仙沼市にある大島は、人口約2,200人ほどの東北最大の有人島。牡蠣やホタテなどの養殖が盛んに行われています。
「島」といっても、怯(ひる)むことなかれ。2019年に気仙沼大島大橋が完成し、本土と島を繋ぐ陸路ができたことで、アクセスは格段に良くなりました。市街地までは車で15分。これから島で暮らしたいというひとはもちろんのこと、島暮らしに少しハードルを感じているひとにとっても、気仙沼大島なら「ちょうどいい島暮らし」が楽しめるかもしれません。
気仙沼大島大橋から見える亀山という浜で牡蠣養殖を営むのが、小松誠一さん(59歳)。今回、事業継承を目指して求人募集に名乗りをあげた漁師です。
震災前、亀山地区に6軒あった牡蠣養殖を営む家も、今は誠一さんを含めて3軒のみ。誠一さんは還暦を前にして少しずつ体力の衰えを感じてきたと話しますが、その胸の中には決して受け身にならない、漁師としての熱い思いが滾(たぎ)っています。
「次の10年を、事業を引き継いでもらうための10年にしたい」
島の漁師の息子として生まれ育った誠一さんが、家業である養殖業を手伝いはじめたのは36歳のとき。ロープの結び方もわからないところからスタートし、一人前と認められるようになるまで、10年の歳月がかりました。
これから漁業をはじめるひとにとって、「10年」という単位はひとつの目安にしか過ぎませんが、時間がかかることには変わりありません。だからこそ、誠一さんは自分が元気で働けるうちに、技術や知識、船や資材といったものを譲り受けてもらえる「担い手」を育てたいと思うようになりました。
「牡蠣剥きの時期は日曜が休み。それ以外も週1休みとれるようにしたいね。仕事も朝からやってお昼には終わるから、午後の時間は自由に使ってもらっていいよ。大島にいたら、いろんなことに挑戦できるからね。前はホタテもやってたんだけど、その人がやってみたいとなったらまた再開できる環境ではあるしね。せっかくここで漁師になるんだから、苦労はさせたくないし、ちゃんと稼いでいけるようにしたいのさ」
まだ見ぬ「担い手」のために一生懸命条件や働き方を考え、少しでも浜に通いやすいように空き家探しもはじめたそう。そんな一つひとつのお話しからも、誠一さんの実直さや、面倒見の良さが伝わってくるようです。
漁師という仕事に
新しい楽しみ方を
牡蠣養殖の繁忙期は、水揚げシーズンである秋から春先にかけて。それ以外は筏の管理や次のシーズンに向けた準備を行います。
「漁師の仕事は水揚げの時間よりも、片付けや準備の時間のほうが実は長い。汚れる仕事、地味な仕事も多いんだよ」
額の汗を拭いながら、黙々と海での仕事をこなす誠一さん。
足場の悪い養殖筏の上をためらうことなくスイスイと渡り、手際よくロープを引き上げて牡蠣の水揚げをしていきます。
普段から海の仕事はひとりでこなしていますが、牡蠣剥きをはじめとする加工作業には、奥様の英子さんの存在が欠かせません。
誠一さんと英子さんは漁協の共販として剥き牡蠣の出荷をするほか、近くの道の駅などの販売所に加工した牡蠣を納品しています。自宅すぐ下の小さな加工場で、牡蠣をボイルしたり、殻牡蠣を磨いたりと大忙し。手間がかかる作業ですが、やり甲斐を感じているそうです。
「最初は値段もどうつけていいかわからなくて。お店の人に、もっと高くてもいいんじゃない?って言われてびっくりしたんです。自分たちが手がけたものが、価値のあるものとして目の前で売れてなくなっていくというのは、つくり手としてやっぱりうれしいですよね。勉強させてもらうこともたくさんあります」と、英子さん。
市場には出せない小ぶりな牡蠣も、牡蠣に付着するため駆除されるだけのムール貝も。
二人の手にかかれば、海からの素敵な「おすそわけ」に早変わり。お客さんからの評判も上々です。「担い手」となる若者にも、型にとらわれずにいろんなことに挑戦してほしいと二人は考えています。
「ただ水揚げして出荷して終わりじゃなくて。せっかく加工場があるから、いろいろやってみてもいいよね。自分が手がけた商品が売れたときの喜びを感じてもらいたいし、新しく商品や販路をつくって、給料だけじゃないプラスアルファの収入をそこでつくっていけるように」
牡蠣ひとつをとっても、水揚げする時期や売り方によって値段が変わってきます。可能性は無限大。誠一さんのもとでは、新しい漁師の仕事の楽しみ方も見つけられるかもしれません。
次の10年をあなたとともに
「ダメになったものは直せばいい」
サラリーマン時代から誠一さんが大切にしているポリシーです。
長年、製造業に携わっていたからこそ培われたその精神は、2010年のチリ地震津波、2011年の東日本大震災による大津波といった災害を経験したときにも、決して諦めない原動力となりました。
「最初の10年は仕事を覚えるのに必死。次の10年は震災からの復興。夢中で走り続けてきた20年だった。次の10年がはじまっている今、その10年を誰かに託すのも悪くないのかな」
事業継承と一言で言っても、漁具や資材があればすぐにできるわけではありません。
それが親から子への世代交代ではなく、「よそ者」へ引き継ぐとなれば、なおさらのことです。
まず目指すのは、採りものなどができる共同漁業権(漁協の准組合員資格)の取得。
同じ亀山地区には、他県から移住し、新規就業した若者が3年の就業期間を経て、取得した事例もあります。そこから養殖をするための区画漁業権(漁協の正組合員資格)を得るためには、さらに就業実績を積み、漁業者として周囲にも認めてもらうことが必要となります。
少しずつ浜にも新しい風が吹きはじめている今、本気の思いがあれば、きっとたくさんの人を巻き込んで夢を叶えられるーーそんな挑戦できる舞台がここにはあります。誠一さんも、全力でサポートをするつもりです。
この夏も気仙沼では、お試し移住制度をつかった「漁業短期研修」が行われます。
漁師の仕事は、聞くよりも体験してみるのが一番。誠一さんも今年受け入れを行うことになりました。
もし、自分で漁師の仕事をやってみたいと思っている人がいたら、ぜひ一度、体験に来てみませんか?
気仙沼市では、沿岸漁業の担い手育成事業を行っており、船やフォークリフトの免許を取得する際の費用補助や、同じようにここ2〜3年のうちに新規で就業した同世代の仲間もいるので、切磋琢磨しながら、お互いを高め合える最高の環境が整っています。
曲がりくねった細い山道も、養殖筏がたくさん浮かぶ大島の海も。
きっとあなたをワクワクさせてくれるはず。何よりこの島には、まだ見ぬ「担い手」を首を長くして待ち望む漁師の姿があります。
新しい橋を渡ったその先に、あなただけの冒険の物語の入口が見つかるかもしれません。
(文・写真=髙橋由季)
※取材は2024年7月に行いました
勤務地 | 宮城県気仙沼市 |
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勤務時間 | 5:00 ~ 12:00(実働6時間程度) |
休日休暇 | 週1休み(9~5月は日曜休)、GW・お盆・年末年始休み(各3日程度) |
募集期間 | 2024年07月01日(月)~2024年10月01日(火) |
その他 | 仕事内容 9~5月 牡蠣の水揚げ・牡蠣剥き 6~8月 筏掃除・温湯処理・種牡蠣投入など ※天候・季節・状況によって変動あり(上記所定時間外労働あり) |
会社名 | マルショウ水産 |
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選考方法 | 応募 ▼ フィッシャーマン・ジャパン担当よりメールにて連絡 ▼ LINE登録 ▼ 写真付履歴書の提出(書類選考) ▼ オンライン面談(事務局、募集主と複数回行う場合があります) ▼ 現地面談 現地研修(1週間程度) ▼ 内定 |
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