見て覚えろはもう古い。 これからの漁村に求められる、漁師になりたい若者を受け入れる力。

見て覚えろはもう古い。 これからの漁村に求められる、漁師になりたい若者を受け入れる力。

「大変だね。人を育てるって。でも、こんないい子がきてくれたんだ。できれば離したくないね」

そう語るのは、宮城県気仙沼市で小型漁船漁業を営む佐々木司さん(42)です。イサダからメカジキまで季節ごとに違う種類の魚を獲っています。これまでお父さんと親子二人で操業してきた司さん。お父さんの年齢を考え、人を新しく受け入れたいと考えていました。

そんな司さんのもとに、2020年11月、一人の青年が訪れました。大政勇太さん(26)です。もともと埼玉県で営業の仕事をしていましたが、退職し、漁師の道を進むことに決めました。今では、すっかり日に焼け、漁師然としています。

これまで家族経営でやってきた漁師が、新しく人を受け入れるのは決して簡単なことではありません。そして、外部の人間が漁村に飛び込み、漁師としてやっていくこともまた大変なことです。しかし、二人が「司さん」「勇太」と呼び合い、仕事を進めていく姿は、新しい漁師の育成がうまくいっていることを感じさせます。
大政さんが一緒に船に乗るようになって半年。「漁師を一人育てる」とはどういうことか、そのリアルを司さんと勇太さんに取材しました。

 

若者が飛び込みたくなるような環境をつくる。

あらゆる漁村で後継者不在や人手不足の問題が深刻化しています。もちろん気仙沼市も例外ではありません。2003年から15年の間に漁業者数は、約4割以下にまで減ってしまいました。

このままでは船に乗る人がいなくなってしまう。そんな危機感から、気仙沼の漁師たちは一致団結し、地域全体で人材確保に取り組むことを決めました。これまで、人手集めは親戚や個人の繋がりで紹介してもらうことがほとんど。正式に求人募集をかけたことは一度もない。どのくらいの給料を出せばいいのかもわかりませんでした。

「未経験の人に来てもらうんだから、最初の給料は12、13万でいいって。そんな声も多かったんです。でもそれじゃ人は来ません。だから、もし息子がいたら、そこに働きにいけと言えるのか、と皆に聞きました。あなた達はその職場で働くことに心から賛成できるのかって。それに人を雇うなら、若い人に来てほしい。だからお金も出せる限り出した方がいいって言ったんです」

司さんの主張に周囲も理解を示し、給料に最低保証額を定めて求人開始。しかし、求人を出しても、すぐに応募が来るわけではありません。漁師の世界に飛び込むには未だ高いハードルがあります。

地域の漁師たちの声が届き、気仙沼市も本格的に担い手育成事業をスタート。漁師や漁協、コーディネート団体と連携して「漁師学校」という1泊2日の漁師体験プログラムも実施しました。地元の漁師が先生を務め、海の作業からロープワークまでを体験してもらいます。勇太さんも漁師学校を通じて、気仙沼を訪れました。

「自分が先生になった漁師学校に勇太が参加していました。話す機会も多く、慕ってくれて。ただ漁業体験の日は天候が悪く、海も荒れていました。海に出ない漁師さんもいる中、一緒に漁に出ることにしたんです。漁の途中で船酔いしていたけど、限界まで手伝ってくれて。すごいなって思いましたね」

何度か漁師学校に参加したものの、勇太さんは漁師になるか、サラリーマンに戻るか決めきれず、一度東京に戻ったことも。しかし、東京で就職活動を続けるうちに、やはり生産者側として働いてみたいという思いが強くなったと言います。

「元々営業職についていたのですが、生産のことを知らないでものを売るのは嫌だなって思っていました。転職活動の最中に、『君は営業としてものを売りたいのか、生産者としてものを作りたいのか、はっきりしていない』と言われて。その時、生産者として働こうと吹っ切れたんですね。その時はもう、司さんと一緒なら間違いないだろうなって。一緒に働かせてほしいと伝えました」

 

人を育てるために、漁師がすべきこと。

漁師が増えない理由は、漁師の世界が閉鎖的であるということだけではありません。漁師特有の人の育て方が、外からやってくる人にとっては高いハードルとなっている場合も。

漁師の親方といえば、やはり怖いイメージ。船の上では方言混じりの大きい声が飛び交い、怒っているようにも聞こえます。司さんが船に乗ったばかりの頃は、「見て盗め」「嫌ならやめろ」「怒られる時はものが飛んでくる」が当たり前。理不尽に怒られることも多かったといいます。しかし、司さんは、「今は、そんなことをする時代ではない」と教え方の工夫を欠かしません。

「『やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば人は動かじ』。これ聞いたとき、本当にいい言葉だなって思って。勇太に教えるときはこの言葉を実践するようにしています。親父の世代は、まだ怒りがちなんです。理不尽に怒る。もちろん怒ることも大事ですけど、本人が、なんで怒られたのか分からなければ意味がありません。だから、勇太が親父に怒られた時は、今のはこういう動きをしたから怒られたんだぞ、って必ずフォローするようにしてるよ」

そんな司さんでも怒る時があります。勇太さんが怪我をしてしまいそうな時です。船が揺れたり、ピンと張ったロープが急に切れたりと、海は危険と隣り合わせ。「怪我だけは絶対させたくない。親御さんから大事な息子さんを預かっているわけですから」と司さん。勇太さんも、司さんに怒られる時は理由がはっきりしていると続けます。

「働き始めてまもないころ、ロープが急に跳ね返ってきて、左手と脇腹を打撲しました。怪我をしないためには周りを見ておく必要があります。自分が怒られる時は、作業に夢中になって周りが見えていない時。その時、一刻を争う船の上で、注意されるのは納得がいきます」

司さんは、季節ごとに船の装備を変えながら、一年を通して魚を獲る漁業を行っています。時期によっては、少しでも勇太さんの収入を増やすため、二人揃って違う船へアルバイトしにいくこともあります。他の船に乗るときであっても、勇太さんが早く仕事を覚えられるようにと指導を忘れません。

「仕事は全部つながってるから無駄ないよってよく言っています。他の船でも求められる人になれよって。今は言われたことをこなすだけでも十分。でも、俺だったら、一つのことやりながら、横目でもう一つの作業を確認するよって教える。こっちのカゴ溜まってきたなと思ったら、別のカゴひっぱってきたりとかね。そういう動きができればいいねって伝えています」

 

漁師にとって人を育てるのが難しい理由。

司さんと勇太さんの師弟関係は見ていて理想的であるように感じます。しかし、漁師として人を育てる中で悩みもたくさん出てきたと言います。

一つは、福利厚生の問題。司さんは、勇太さんが就業するにあたり、雇用保険と労災保険には加入しましたが、社会保険までは経営状況的に難しいと判断しました。そのことを就業時にしっかり伝えた上で、できることは全部やるのが大事だと話します。

もう一つが、住まいの問題です。外部から飛び込んでくる人にとって、住む場所を探すのは大変なこと。勇太さんも住まいを探すのには苦労しました。

「県外から勇太みたいな人を呼びたいってなったら、一番大事なのは住まいだと思います。気仙沼にある普通のアパートも安いわけではありません。自分たちが給料をいっぱい出せたらいいんですけど、今はコロナの影響もあって不景気で難しい。それでも住まいはちゃんとしたところを薦めたいってなったら、市の人からの協力が必要になると思います。今、少しずつ気仙沼市も整備を進めてくれています(※)」

外部から飛び込んでくる人ならではの悩みもあります。

「都心部からこっちにきたので、スーパーがないとか、遊ぶところが少ないとか細かいことはたくさんあります。方言もキツくて、最初はなにを言っているのかわからないことも多かったです。今でもわからないときはありますし」

漁師として人を育てる上でも、漁師として生活していく上でも、まだまだ浜には解決していくべき課題はあります。それでも勇太さんは、「悩みはもちろんありますけど、仕事の楽しさの方が大きいですよ」と話してくれました。

※気仙沼市では担い手事業が始まり、受入れ実績が出てきたこともあり、2020年12月に移住者向けに公営住宅入居が可能になった。

https://www.kesennuma.miyagi.jp/sec/s102/020/010/010/010/20201211153628.html

 

担い手の存在が漁村を変える。

勇太さんが漁師になって半年。順調に漁師としての道を歩んでいる裏に、司さん達の勇太さんやご家族への思いやりがあることを忘れてはなりません。

「布団、食器、こたつ、電球、ストーブも。今度は扇風機もあげて。勇太のお父さんにも、アワビとかウニを送っています。喜んでくれているみたいですね」

給料含め、誰もが同じような待遇を用意できるわけではありません。そして、勇太さんのような人材がきてくれるとも限らず、すぐに辞めてしまう場合も。ほとんどの漁師が、親世代が引退した後が大変だと理解していながら、漁師募集に踏み切れない理由がここにあります。

しかし、勇太さんという存在は漁村で変化を起こすきっかけとなっています。

周りからは「あいつちゃんと続いているな」と言われるようになり、一緒に他の船にバイトしにいくと、勇太さんの仕事ぶりが褒められることも増えました。「あいつの動き、いいなあ」と周りから言われると、自分が褒められるよりも嬉しいと司さんは言います。

「勇太みたいな人が周りから認められたら、浜の人も少しずつ変わっていくと思います。浜に必要なものをみんなで話し合って、家を準備するとか、集まれる場所を作るとか、できることはもっとたくさんあるはずです。漁師になりたいとやってくる人を地域で受け入れられるようにしていきたいね」

不便さや福利厚生の点から、生活するのに完璧な環境とは言えない漁村。その中でも、司さんと勇太さんは、できること、やりたいことに精一杯取り組んでいます。

司さんと勇太さんの関係は、漁村を変え、多くの人を巻き込んでいこうとしています。若い漁師が集い、気仙沼の漁業を盛り上げていく日も遠くはないかもしれません。

「幸進丸で、俺の右腕のような立場になってくれたら、そんな嬉しいことはないよ」と司さん。

「勇太が一人前になったら、俺は船を降りるかな」と司さんのお父さんも続けます。

司さんと勇太さんの航海は始まったばかり。6月からはカジキを獲る突きん棒漁が始まります。

 

 

 

(文=香川幹 撮影=Funny!!平井慶祐、歓迎プロデュース)
※取材・撮影は2021年5月に行いました

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