情報網を駆使し、三陸漁業の未来を支える 〜三百年企業の漁具屋魂〜

情報網を駆使し、三陸漁業の未来を支える 〜三百年企業の漁具屋魂〜

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江戸時代末期の嘉永3年(1850年)に、「廣野屋」として創業したアサヤ株式会社。漁具商として、三陸沿岸の漁業を支えてきました。現社長の廣野一誠さんで七代目。歴史の重みは、取引先からの厚く深い信頼関係が裏付けています。

創業当時、沿岸漁師の漁具は麻を撚って作った釣り糸。廣野屋は、漁具商として麻を売っていたことから「アサヤさん」と呼ばれ、いつの間にか屋号も「麻屋」に。その後は取り扱う漁具も時代とともに増え、今では素材や太さなどのバリエーションも含めると扱う漁具はなんと3万点以上!漁師さんとコミュニケーションを取りながら漁法にあった漁具を勧める大事な仕事が営業職。しかし、世間一般でイメージする営業職とはひと味違う、微に入り細に入る気遣いと地域の漁業の歴史を変えるスケールを感じます。

 

営業の醍醐味

朝8時、アサヤの1日が始まります。

朝礼では、一人が持ちまわりで漁船の情報などを報告。業務連絡の後、最後に「今日も一日頑張りましょう、ヨイショ!」、そして、全員で「ヨイショ!」の掛け声。整然と営業職は、それぞれの担当部署に向かいます。

社長の廣野一誠(いっせい)さん(39)は、「営業の醍醐味は、自分で裁量を持って動けるところ。漁具の営業だけではなく、新しい手法を提案できるような信頼関係が必要です。まずは名前を覚えてもらうことから始まり、先輩への電話が自分に直でくる依頼に変わり、『こういうのを探しているんだけど、知らないか?』と相談になり、次第に大きな仕事を任せてもらえる信頼になる。お客様は、間違いなく僕個人を頼ってくれているんだなと感じられる瞬間、楽しくやりがいを感じます。それもまた、営業の仕事の醍醐味ですね」。

廣野さん自身、前職では大手IT企業のコンサルティング部門に在籍していただけに、要望を具体化することには心血を注いできました。東京の大学を卒業後、家業を継ぐと決めていたものの漁業とはまったく職種の異なる企業に就職。6年間勤め、先輩の起業に4年ほど参画した後ち、2014年に気仙沼に帰ってきました。

気仙沼港が漁船で溢れ活況だった頃は、先輩もお客様も厳しく、その厳しさの中で揉まれていくうちに自然と仕事が身につき一人前に成長していました。しかし時代は変わり、就職先など進路の幅も広く多様化している中で、「うちの社員や漁師さんが、楽しくやりがいを持ってエネルギッシュに仕事をしていることが、漁業の課題解決につながっていくと思います」といいます。

アサヤには、営業部門の<漁船部門><養殖部門><定置部門>のほか、技術部門の<鉄工課><塗装課>などがあり、機械など大きなものから釣り針など小さなものまで扱っています。

「僕自身は気仙沼で生まれ育ち家業を支えていこうと思って帰ってきましたが、漁業やアサヤのことに精通している訳ではありません。本当によく仕事をする優れたベテランの方々、現場の社員さんたちが、伸び伸びと実力を発揮していける会社にしたいなと思っています」

 

逃げずに勝ち取った信頼

専務取締役の熊谷英明さん(58歳)は、営業一筋38年の大ベテラン。その長い営業経験の中では辛酸を舐めることもあったといいます。

「営業やって何年目かな……、28-9歳ぐらいでお客さんとの関係作りもでき始めた頃。うちが入り込めていない地域があって、『おめえそこ、なんとかしてこい』と言われて……」。販路開拓を命じられた地域は、ライバル社がしっかり販路を抑えていた地域。会社からは、2年で結果を出すように言われた。

しかし熊谷さんは、「そんではだめだ。任せてくれるんなら、いくても悪くても5年はやらせてけろ。その期間に結果を出すから。とにかく、一生懸命に何度も行って関わるしかねえなと」。機械の整備関係が得意だった熊谷さんは、「俺ができる範囲のちょっとした機械調整はタダでやってやるよ」と働きかけ、2年かけて関係性を築いていった。しかし……。

ホタテ養殖では、ホタテを吊るしたロープを海中に沈める工程がありますが、提案した新商品のロープに吊ったホタテが途中で落下して水揚げにならず、お客さんに大損害を出してしまいました。

「当然お客さんは大激怒。『おめえのおかげで生活苦しくなったじゃねえか』と、バケツで水をかけられた時もありました。厳しく責められながら2−3ヶ月、『俺と付き合ってくれたら、長い年月の間に必ずこの埋め合わせはするから』って通い続けたんです。そうしたら浜の親分格の人に、『お前の気持ちはわかった。他社でも同じようなことはあったけど、怒られ続けたら来なくなる。けど、おめえはいくら怒られても来たよな、信用してやっから』と。よりお客さんとの関係が深くなりました」

その甲斐あって他の人たちもアサヤに向いてくれ、その地域でのシェアはそれからずっと一番だといいます。

 

困った時には手を差しのべる

「会社は、家族と過ごすよりも長い時間一緒にいる。アサヤは、困っていたら誰かが手を差し伸べてくれ、楽しく仕事ができる体制づくりができています」。熊谷さんから、養殖関係の営業を引き継いだ及川洋也さん(34)は、東日本大震災後にアルバイトで働くうちに熊谷さんに誘われて、正式採用になりました。150kgを超える巨漢で、お客様に覚えてもらう上での、インパクト大。

「一緒にいたら俺まで10㎏太ったんですよ。ジムに誘っても全然来ないし」

熊谷さんは及川さんの体調管理も考え、ジム通いを熱心に勧めていますが当の及川さんは「家の反対方向だから」とばつの悪そうな顔。

「お客さんに好かれて売上も伸ばしてるんです」と熊谷さんは愛弟子の(業務の)成長に目を細めています。

及川さんは、「お客様から感謝の言葉をいただいた時がお客さんの為になったんだ、と感じられて仕事が面白いと思える瞬間です。忙しい時はみんなが機敏に察して、他の人に手を借り助け合いながらやっています。営業は人と人との触れ合いなので、向いているのはしゃべり好き、知識は仕事についてからだんだん身についてくるので、やる気と人と話をするのが好きだっていうのが一番」と満面の笑みで答えてくれました。

小柄な片桐拳汰さん(27)は、2019年入社。震災時に岩手県大槌や釜石などにボランティアで訪れ、就職するならお世話になった東北と思い色々探すうちに、母親の実家がある気仙沼へ移住。

「気仙沼は漁師さんを中心にいろんな産業が広がっています。漁師さんはヒーローで重要な人たち。その人たちを支える気仙沼らしい仕事で、誰もが知っている歴史のある会社だと思いアサヤに就職を決めました。漁師さんの近くで働けるというのはすごく魅力的です」

漁師は命懸けの職業。当然気性も荒くなるし、物言いがキツくなる時もある。スピードを求められるので、生半可なことはできない。

「いろんなギャップもありながら、自分を鍛えてみたい、新しいことにチャレンジしてみたい、ガッツのある人が向いていると思います。アサヤは、頑張れる条件や環境は整っています。僕は移住者ですが、気仙沼は人との距離が近く、社内でもみんなで仕事を補い合うような近さがあります。仕事の内容は特殊ですが、いい人生経験になると思いますよ。漁師さんも会社の上司も厳しいですが、その分真剣に考えてくれている証拠。仕事も覚えたら任せてもらえるし、よく仕事の様子をみてくれています」

片桐さんは、マグロの延縄船の仕込みや、造船場の資材の配達納品を担当。今は、新しい福島の船の準備に追われています。自分の裁量で、任される仕事の醍醐味を味わっているようです。

新しい手法を提案する情報屋

海産物の漁や養殖の手法は、潮の流れや地形など地域によって同じ三陸地域でもさまざま。昔は一般的ではなかった牡蠣の温湯処理(※1)も、他の地域で成果のあった手法を聞きつけた熊谷さんが働きかけ、今では気仙沼でも一般的に行われるようになりました。

「牡蠣組合の人たちに、俺がセッティングするから見に行こう!と勉強会を開いて、それが段々と広がっていった。我々はただの物売りじゃなくて新しい手法の提案が大事。漁師さんよりもいろんな地域のことを知っている情報屋さんでなくては」

熊谷さんは他にも、コーヒーに入れてかき混ぜて溶ける砂糖をヒントに塩蔵ワカメ加工の<ワカメ塩漬け装置>を試行錯誤しながら開発。他の地域でも同時期に商品化されていましたが、今ではワカメ漁師の作業場で一般的な風景になっています。

アサヤ二代目の彦兵衛氏は明治8年、イギリスから鉄線を輸入し、これなら漁師も簡単に釣り針をつくることができると、釣り針用に鉄線を販売しました。それまでは鍛冶屋が時間をかけて作っていた釣り針だったので反響は大きく、各地の漁家が針金を求め、『麻屋』の名が一躍広まったと言います。

アサヤに代々受け継がれている <漁民の利益につながる  よい漁具を>

創業以来引き継がれている、さまざまな情報網を駆使し、活かして、漁師を支える漁具を提供し続けた170年超の歴史。漁師の声に耳を傾け、自分が考えたことが定着する営業の醍醐味を、ぜひ一緒に感じてほしいですね。

※1温湯処理:牡蠣を75度のお湯に一定時間つけて、牡蠣殻に付着したシュウリ貝や海藻類など牡蠣以外の付着物を取り、牡蠣より先にプランクトンを食べてしまうのを防ぐ。そうすることで、牡蠣がぷっくり大きく育つ。

 

文:藤川典良、写真提供:アサヤ株式会社
※取材は2022年4月に行いました。

応募申し込みフォームに不具合が生じる場合があります。お申し込み、お問い合わせは
triton@fishermanjapan.com
まで直接メールでご連絡ください。

募集情報
募集職種 営業・企画・販売
雇用形態 正社員・フルタイム
給与 月収17万~30万円
通勤手当(最大上限18,000)
昇給(ひと月当たり1,000円~6,000円 前年度実績)
賞与(年2回、計2.00か月分 前年度実績)

※勤務地は希望によって、宮古支店(岩手県宮古市 崎鍬ヶ崎第11地割10−1)への勤務も検討可能です。
福利厚生 昇給あり, 賞与あり, 通勤手当, 退職金制度有り, 厚生年金, 労災保険, 健康保険, 雇用保険
仕事内容 営業・企画・販売
勤務地 岩手県釜石市大平町3-9-1
勤務時間 8:00~17:00 時間外労働なし
休日休暇 週休2日制、日・祝日、その他。6か月経過後の年次有給休暇日数10日
募集期間 2022年06月01日(水)~2022年09月06日(火)
その他 歓迎条件

・小型移動式クレーン運転技能者あれば尚可

・フォークリフト運転技能者あれば尚可

・玉掛技能者あれば尚可



必須条件

・普通自動車運転免許(AT限定不可)

・基本的なパソコン操作(Word、Excel等)



その他

・長期勤続によるキャリア形成を図る

・制服(ポロシャツ、ブルゾン)、防寒着支給
会社情報
会社名 アサヤ株式会社
住所 宮城県気仙沼市松川前13-1
社員数 77人
選考方法
選考方法 ※新型コロナウィルス感染拡大防止措置として、現地対応(面談・研修)の受け入れ時期を慎重に判断させていただいております。お電話やビデオ電話などでの企業説明や相談なども行っていますので、まずはお気軽にお問い合わせください。

応募

フィッシャーマン・ジャパン担当より電話にて連絡

写真付履歴書の提出(書類選考)

電話もしくはビデオ電話にて面談

現地面談
現地研修(1週間程度)

内定
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