人をつなげ、若い芽を育てる。気仙沼・階上ワカメ漁師の希望

人をつなげ、若い芽を育てる。気仙沼・階上ワカメ漁師の希望

東京はすでに桜が満開の3月下旬午前6時、三陸の朝はまだ肌寒い。
取材の日は、風もなく穏やかな天気で、水平線から昇った朝日が、静かな内湾を黄金色に染めています。海上にはワカメ養殖の浮き玉が整然と並び、すでに漁師たちは小型の船に乗り自分の養殖筏でワカメの刈り取りを行なっています。

気仙沼の景勝地として知られる岩井崎がある、宮城県気仙沼市階上(はしかみ)地区
気仙沼湾の入り口に位置し、北には大島の龍舞崎、南側には金華山と牡鹿半島が見えます。長い年月、波蝕によって削られた岩礁は、まるでゴジラの背びれのよう。波の高い日には侵食された岩の隙間から潮が10メートル以上も吹き上がり、“潮吹き岩”と呼ばれています。

湖のように穏やかな内湾を進み、突端の岩井崎に差し掛かると波は次第にうねり、外海へ。波は高くなり、ワカメ漁の船は時に波間に隠れてしまうほどです。その中で、船底をしっかりと掴むように立ち、黙々とワカメ漁をする漁師の姿。ここ階上では静の内湾、動の外海と、場所を変えワカメの養殖が行われています。

 

静の内湾、動の外海。所変わればワカメも変わる

階上のワカメ漁師・藤田純一さん(44歳)は、「毎年、自然環境も違うし、天気も違うし、水温も変わる。種の違いも影響するので、それにどう適応していくか。毎年勉強です。長年ワカメ養殖をしていても、なお奥が深い」と言います。

内湾と外海はもちろんのこと、漁場や地域によって生育状況、収穫時期も違うのところが、ワカメの面白いところ。全国のワカメ水揚げ量は4万5,000トン以上。そのうち7割を岩手県洋野町から宮城県松島湾の三陸沖に集約して養殖されています。水温はもちろん、さまざまな要因により、収穫時期も収穫の方法も変わり、ここ階上地区では1月初旬から3月が収穫時期です。

「階上のワカメ漁師たちには、早く芽が出る種をつくるノウハウがあります。早種と言われるのが5,6種類と、外海では岩手の種を4種類ぐらい使っています」

さまざまな種を使用することで、収穫時期を変えている階上のワカメ養殖。気温の上昇とともに、水温が上がると、ワカメの品質が悪くなるといいます。

「浜によって買った種だけをつけるところもありますが、私たちは自分たちで早い時期に芽を出す“早タネ”を作ります。1月中旬から収穫が始まって、3月で塩蔵ボイルの作業が終わり、4月はメカブの加工用の出荷になる。ほかの浜は3月のお彼岸過ぎから4月に収穫するので刈り始める時期がほかより早いんです」と藤田さん。

 

10年目の恩返し

藤田さんは、元はホテルでも腕をふるった料理人。21年前(23歳)に地元に戻り、家業の漁師を継ぎました。現在は養殖から加工・販売までを行う藤田商店社長として、海に陸にと忙しく動きまわっています。

ワカメは、種付けから収穫までのサイクルが1年。2011年の東日本大震災で壊滅的な被害を受けたにも関わらず、全国から船やワカメ養殖に必要な道具が届けられ、翌年には収穫することができました。

「震災後、何もなくなったところに全国から多くの支援をいただき、本当に助けられました。私たちも何か恩返しがしたいなと思っていたところに、テレビ番組で子ども食堂の話題を扱っていて、画面に映った食事に並ぶ子ども達の姿が、震災の時に自分たちが炊き出しに並んでいた姿と同じだなと思って……」

サメの仲買人や水産加工会社など気仙沼で同じ水産業に関わる仲間と共に『ワカメで恩送り 復興10年目の節目に子どもたちへ気仙沼漁師たちから希望を届けたい』とクラウドファンディングを活用。約800人の子どもたちへワカメをはじめ三陸の食材を届けることができました。

食育にもつながるようにと作った冊子には、ワカメ養殖の工程や収穫したワカメの加工作業、ワカメの食べ方も載っています。漢字には小さな子どもでも読めるようにふりがなが振られ、子どもでも作ることができる簡単レシピも掲載。支援をいただいた方々や子どもたちへも届けられました。

「レシピは、お子さんがいるお母さんたちに考えてもらいました。私も料理人の経験がありますが、そこは子どもたちへの目線などいろんな人が入っていることの知恵ですね。人がつながると面白くなります」

 

課題は多く、波高し。

藤田さんが大切にしている人とのつながり、そこから広がる人としての幅。それは地域漁業者の青年部『千尋会』も同様。年齢は27歳から50歳まで、16名ほどの漁師がメンバー。

同じ湾内の漁師仲間ですが、かつては良いことも悪いことも情報交換もなかったライバルでした。

けれど今は個々で動くよりも、獲り方や販売方法など互いに情報を共有し、階上のワカメを多くの人に食べてもらうために切磋琢磨しています。代替わりもし、親が漁師の二世も後継者として入っています。

「漁業で難しいのは、漁場は新規だとなかなか持てないこと。すでに漁場が埋まっている状態なので、それをどうやって改善していくのか。高齢化が進んでいるのは確かなので、年配の人のところで右腕としてヘルプをしながら5年ぐらいで仕事を覚えて、漁場をそのまま受け継ぐ感じかなと思うんですけども。
今はまだ親世代も現役で漁に出ていますが、私の親父も高齢でそろそろ体力的にもキツくなってきています。もし親世代が動けなくなったらという危機感は、私だけでなく、千尋会の仲間みんなの課題です」

新しい方法を模索していくにしても、昔ながらの習慣や手法にも必ず意味があります。頼りになる親世代がまだ現役のうちに、次世代を受け継ぐ漁師の担い手を育てていきたい。千尋会の面々はそう考えています。

個人プレーが多かった漁師は、昔の姿。千尋会のメンバーは、常にツッコミやボケが入りとにかく明るい。撮影後には、漁港にある作業場で、塩蔵工程について丁寧に説明してくれました。階上ワカメを知ってもらおうという思いに溢れています。

 

発展途上、最強パートナー

現在、千尋会で販売まで手掛けているのは、藤田さんだけ。その藤田さんのもとには、ワカメ漁はもちろん、刺し網漁やかご漁、加工品の調理などもする若手の社員がいます。

震災前は仙台市内で製造業のサラリーマンとして働いていた芳賀敬さん(32歳)。学生時代は野球部だったというガッシリとした身体以上に、漁で鍛えられたゴツい手は、まさに漁師そのもの。

芳賀さんの実家は内陸にありましたが、震災で被災。高校生の時から藤田さんが経営する海の家でアルバイトをしていた芳賀さんは、地元に根ざした仕事に就こうと藤田さんに相談。「うちに来っか?みたいなラフな感じで、藤田さんは芳賀さんを受け入れました。それでも震災直後、ワカメ漁がどうなるかもわからない状況だったので、芳賀さんには藤田商店に就職するのを一年待ってもらいました。

芳賀さんに藤田商店に入って何年目ですか?と聞くと、
「6年目ぐらい、かな。25ぐらいの時にきてる感じはするんですけど、何しろ高校の時からいるんで、記憶が曖昧でずっといる感じ。もはやこの辺の人たちのほうが、実家のあるところより親しくなっちゃって。すっかり漁師になった気分ではいますけど(笑)」

 

任せられる存在に

「純一さんに限らず漁師さんはみんな元気。じいちゃんなっても、朝早くワカメ刈りに行くんですよ。俺は最年少なので、朝眠いなんて言ってられない。純一さん? 優しいですよ。たまに、沖から帰ってくる時、こりゃぜってい、やべえって時には、厳しい言葉も出ますけど(笑)」と、芳賀さんは藤田さんの印象を語ります。

内湾と外海で様相が一変する気仙沼湾。それゆえ、芳賀さんの直近の目標は、ワカメ養殖の場所の把握。

「内湾は湖みたいで、大丈夫ですけど、外海は波が高くて広いので不安になります。目印は全部黒い浮きじゃないですか。場所をしっかり覚えて、一人で行ってこいよと言われるようになりたいですね」

「覚えるのも早いし、体力もある。従業員というよりパートナー」と、藤田さんも芳賀さんには信頼を寄せている。

「敬は、俺にないものを持ってる。若い子なんで、S N Sとかも手伝ってもらおうかと思っています。俺が思う、仕事のやりがいなんかも伝えてやんないと。今は、敬が何にやりがいを感じてるのかイマイチわかんねえけど(笑)」

何にやりがいを感じてるのかわからないと藤田さんは言いますが、芳賀さんはその大きな体に似合わず繊細に、しっかり藤田さんの背中を追いかけ、伴走できる力をつけているのを言葉の端端にひしひしと感じます。

「純一さんのお父さんも高齢だから、そのうち純一さんと二人でやってかないといけない。しっかり右腕として支えて、純一さんが話す知識もどんどん吸収して、いろんな人に気仙沼の海産物を伝えられるようになりたい。もっと対面で、こういういいのあるんですよと伝えたいですね。やれることはまだまだいっぱいあります!」

 

思いをつなげ、かなえる

人がつながり、そこから幅を広げていけばと、藤田さんは願っています。
「若い人にやりがいも伝えて、他県ともいろんな情報交換もしていかないと。常にアンテナ立ててパイプを作っておく必要があります。長い目で見たら、若い世代の外からの目も必要だし、それが改革になっていくと思うんです」(藤田さん)

「まわりに、あんまり若いのはいないですね。でも、先輩漁師はみんな先生。ゴッツイけど優しいっす」(芳賀さん)

「喋り方や話す内容がすっかりおめえに似てきたぞ」と、ほかの地区の漁師仲間にも言われる藤田さんと芳賀さんの師弟、いやパートナーの関係。

藤田さんが人のつながりを大事にするように、芳賀さんもまた、気仙沼にほかの地域からやってきた漁師仲間の架け橋になっていくように感じます。

三陸を結び、今春開通した気仙沼湾横断橋<かなえおおはし>のように。

 

 

文 藤川典良
撮影 Funny!!平井慶祐

取材・撮影は2021年3月に行いました。

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