青森県下北半島に位置する大畑町は、2005年の市町村合併により、むつ市に編入した人口約6,500人ほどの小さな港町。
「どぅせば(どうすれば)いい?腕組むか?手繋ぐか?笑わねぇほういいか?」
カメラを向ければ、人懐っこい笑顔。
こちらのリクエストにも躊躇なくポージング。
ここ本州最北の地に、ひときわ元気な漁師コンビがいます。
船に積んだスピーカーから流れるのは、吉幾三の歌声。
バタンバタンと波打つ津軽海峡を船で走りながら、漁師自らマイクを取って漁場案内。
一緒に大迫力の定置網の水揚げを楽しんで漁港に戻れば、旗を振って迎えてくれる仲間の姿。
もちろん夜は酒を交わしながら心置きなく語り合い、飲めや歌えの大宴会。
彼らが企画する漁業体験ツアーは、常に満員御礼の大人気。
ああ、漁師っていいな。漁師の町ってあったかいな……そんな気持ちにさせてくれます。
彼らの名前は、海峡ロデオ大畑。
基幹産業である漁業を通じて町を元気にしたいと、2018年2月に結成されました。
メンバーは、漁師だけではありません。
寺の副住職に、市役所の職員、漁協職員、神職、珈琲屋の店長……町に住むさまざまな職種、経歴の持ち主が、「一緒にやるべし!」と一緒に立ち上がりました。
2人の漁師の強烈なキャラクターはもちろんのこと、たくさんの人を巻き込んだ結束力が海峡ロデオ大畑の強みです。
過疎、高齢化、後継者不足。
日本全国どこの地域も頭を悩ませている問題から目を背けることなく、立ち上がった漁師たちと同級生の固い絆。
「今やらねば」
「わいど(私たち)がやらねば」
かつての顔なじみが集まり、新しい仲間を加え、今、地域を動かそうとしています。
としみとかずほ。
地域を支える漁師コンビ。
さて、ご紹介が遅れました。
大畑を語るのに欠かせない漁師が2人。この大畑の地で定置網漁を営む、佐藤敏美さん(写真左/金亀水産)と濵田一歩さん(右/金城水産)です。
海峡ロデオ大畑の会長である敏美さん(44歳)と、副会長の一歩さん(40歳)。
学年4つ違いの2人は、同じ集落の漁師の家に生まれ育ち、昔から顔なじみです。
この2人、同じ浜のライバル漁師でありながら、どこに行くのもいつも一緒。
2人の関係は、先輩・後輩という雰囲気でもなく、会長・副会長という上下関係でもなく、かといってダラダラとつるんでいるというわけでもありません。それぞれが何かと頼られる立場。忙しく動き回っているはずなのに、なぜか気づくといつも同じ画角に収まっている……そんな2人なんです。
敏美さんは言います。
「地域の消防団、子供のPTA、漁青連に漁業士会……なんでも一緒。一緒にいて飽きねぇかって言われるけど、漁師同士の話は尽きねぇ。毎回毎回が作戦会議だ。普段からどこで何獲ったのって電話するんだ。ライバルだから自分の商売やってて負ければ悔しい。んでも飲みさいけばべったり一緒に話する。ライバルだけど仲間だ。お互い刺激しあえる」
裏表なく竹を割ったような性格の2人。自然とその周りには人が集り、「としみとかずほが……」と話題にあがることもしばしば。漁師という家に生まれ、同じ使命を辿ってきたからこそ、2人の間には見えない絆があるようです。
2人が住む大畑町は、古くからイカの町として名を馳せてきました。
かつてはイカ釣りを生業とした移住者も多く、港は活気で溢れ、加工場もたくさんありました。しかし近年は不漁が続き、何百隻とあったイカ釣り船も今では数える程。閉鎖する加工場も出てきています。
そんな中、大畑の元気印とも言えるのが、水揚げの3割以上を占める敏美さんや一歩さんの定置網漁船です。
「ここ津軽海峡の魚はとにかく別格。魚は潮が速いところをいつも泳いでるし、冬は極寒。脂も入るし身も締まる。イカ、鮭、マス、ヒラメ、ソイ、サバ。魚種もざっと100種類くらい。この町はイカだけじゃない。とにかく魚がうまい」
すぐ近くにあるのは、マグロで有名な大間町。
有無を言わさず、他の魚だってうまいわけです。
海流がぶつかり、プランクトンが豊富な漁場は、港のすぐ目の前。獲れた魚はすぐに漁港で箱詰めされ、その日の午後に魚市場で入札。鮮度の良さが自慢です。
大畑の漁業の自慢といえば、もうひとつ。
それは、漁師による連携です。
潮の流れが速く、良質な魚を育む漁場だからこそ、網交換などの手間のかかる作業は短時間で行わなければ命取りとなります。
敏美さんの金亀水産、一歩さんの金城水産、そして彼らの先輩である浜照水産。
この定置網3社は、先代の時代から手間のかかる網交換の作業を、共同で行なってきました。
「やるときはバッとみんなでやる。それがここの強み」
1社だけでやれば2日はかかる網交換も、3社で協力して行うことで、 3、4時間で完了。かつて6社あった定置網漁船も、今はこの3社だけになりました。
敏美さんと一歩さん、顔を合わせて酒を飲んでは、「なんだか町が廃れてきたな、なんとかしねばな」と話し合いを重ねてきました。
寂しくなってきたのは町ばかりではありません。
町の基幹産業である漁業も、周りを見れば60歳以上の漁業者が5割強。
1隻、また1隻と辞めていく船をただ見ていくだけのもどかしさ。
何かできることはないか……。
時同じく、この町に東京からUターンしてきた人物がいます。
敏美さんと同級生の長岡俊成さん。町内にあるお寺の息子さんです。
漁師の息子と寺の息子。ちょっと意外な組み合わせに思えますが……。
「子供の頃は全く接点もなくて、それぞれが違う道を進んでいた。でも、大人になってまた地元で出会った。それもまたおもしろいですよね」
漁師2人の勢いとは対象的に、穏やかな口調で一つひとつの出来事を丁寧にお話をしてくれる長岡さんは、大安寺の副住職であり、海峡ロデオ大畑の事務局長を務めています。
常に冷静沈着。しかしながら誰よりも熱く、この町のことを思っている人物です。
漁師の思いをカタチにする。
最強の参謀。
大学卒業後、東京でイベントの企画やCMなどを手がける広告会社に勤めていた長岡さん。震災を機に寺を継ぐ決意を固め、地元である大畑に戻りました。
「東京に18年いて大畑に戻ってきたものの、最初は地域に貢献ができていないという後ろめたさがあったんです。仕事柄、町の人のいろんな声を聞く機会もあって。自分が抱えている後ろめたさと、東京で曲がりなりにもやってきたことを推進力に変えたら、何か地域に還元していけるんじゃないかなって」
2012年に自らが代表となり、町おこしグループ「イカす大畑カダル団」を立ち上げ。
町の情報発信やイベントの企画など精力的に手がける中、商工会職員を通して、同級生の敏美さんから、漁業を通して何かできないかと相談が持ち上がりました。
「自分自身、森の中の温泉地再生から活動をはじめて、川伝いに海に出て……いつか漁師と何かやりたいっていう思いはずっとありました。それで敏美から相談がきて、よしきた!と。周りがやりましょうと言って、仕方ねぇなと漁師が動くパターンはいっぱいあると思うんですけど、ロデオの良さは何よりも漁師がやりたいと言った。しかも2人のいいところは、聞く耳もちゃんと持っているということ。せっかくやるなら、広報も宣伝もサポートもみんなでするし、行政も巻き込んでやろうと」
同じく同級生で、むつ市役所職員である鈴木明人さんにも声がかかり、あの人にも声をかけてみよう、この人もいたらいいんじゃないかと、あっという間に多彩なメンバーが集結。「話しててもわがね(ダメだ)。まずは一回乗ってみるべ」という敏美さんの一声により、初回の顔わせの次の週にはみんなで船に乗っていたそうです。長岡さんはもちろんのこと、漁協職員でさえ船に乗ったのは初めてのことでした。
「漁業の町で生まれ育ったと言っても、船に乗るのはみんな初めて。え、乗っていいの?って。そのときに初めて定置網漁ってこうやってやるんだっていうのを見て。揺れるし怖いんですけど、魚が上がってくるの見て、みんな子供のように喜んで。おもしろかったです。これだったらいろんな人に喜んでもらえると。それに、これだけ喋る漁師なかなかいない(笑)。漁師ってどこか寡黙でピリピリしてて近寄りがたいイメージがあって。とても親しく話せるような雰囲気じゃないと。でも、この2人は勝手に喋ってくれる。獲った魚を食べて、飲んで、泊まってもらって、親しく語り合いたいっていう彼らの思いが、人と人をグッと近づける。これは、いけると」
団体名は、海峡ロデオ大畑。
敏美さんが命名しました。
「バタンバタンと波に乗る。これは船に乗った人しかわがんねぇ(わからない)。ロデオだ」
団体の旗印でもあるロゴを作ったのは、町内で珈琲店を構える傍ら、WEB制作を手がける山田修一さん。長岡さんらの学年2つ下。同じく東京からのUターン組です。
「ロゴは、荒波で、サーモンで、ロデオしてるところと言われました。大漁旗風にしたいというリクエストもありましたね。ロデオのオリジナルTシャツも数種類あるんですけど、黒地に金色のプリントとか、黒地にピンクとかで……漁師だから、派手な色好きなんですよね(笑)」
一方の長岡さんは、広告会社のプランナーの経験を生かし、すぐさま企画書を作成。役場の鈴木さんは、当日の段取りや声がけに走り回り、各々が旅行会社との調整、遊漁船の資格取得など抜かりなく準備を進め、団体結成の2ヶ月後に第1弾となる漁業体験が実行されることとなりました。
長岡さんは、メンバーの多彩な顔ぶれと仕事のスピード感もロデオの強みだと分析しています。
「みんな一度は地元を離れて、別々の仕事について。ある時に集まったら、こっちはそういうプロ、あっちもプロ、みんなプロになってた。やってる仕事は違うけど、プロが集まれば、すごい起爆剤になる。年齢的にも、ある程度組織を率いていける立場にあるので、持ち帰って検討するということがほぼないですね。その場でいつも決まります」
初開催となる1泊2日の漁業体験ツアーは、県内外から13人の参加者が集まり大盛況!漁獲100%と謳った定置網の水揚げは、漁師たちの思惑以上の反響がありました。
「沖さ出はって行ったときのお客さんの楽しそうな表情。想像以上だった。船乗る前からみんなワクワクしてた。子供みたいなんだな。それで船さ乗って魚ちょせば(触れば)おもしろがって。波乗りして帰ってくれば、スタッフがロデオののぼりを振って出迎えてくれる。やっぱり笑顔だべ。笑顔がいい。擬似漁師体験というか、母港に帰るってこんだけ嬉しいことなんだなって感じてもらって。わいも一歩も漁師だけど、みんなを呼んで何かをやりたかった。観光定置網じゃなくて、普段の仕事の延長線上に、こういう漁師のことを伝える何かをやりたかったのさ」
海峡ロデオ大畑の活動の裏には、地域再生への思いともうひとつ。
漁業の新しい担い手を育てたいという思いもあります。
「漁師っていいな。おもしろいな。かっこいいな。わいも漁師やってみたいな。そういう人が出てきてくれたらうれしい」
そんな漁師の秘めた思いを、事務局長の長岡さんはきちんと理解しています。
「大畑は漁業で成り立ってきた。漁師の仕事を盛り立てて行かないと、この地域が消滅しかねない。だからこそ、全力で協力する。漁師たちの思いをカタチにしていくのが自分の役割だと思っています。ツアーのメインはもちろん漁業ですが、山が良くなければ海は良くない。だからツアーの中で山を見に行ったり、市街地を案内することもあります。この町全部が舞台であり、一人ひとりが主人公なんです」
多彩で魅力的なメンバーが集まる海峡ロデオ大畑。
一体メンバーは何人いるんでしょう?
「ざっと数えても10人じゃ効かない。その日になって、お前暇ならこれやってけろと、声をかける。誰が担当とかじゃなくて」
ロデオTシャツを着たらもうロデオのメンバーなんだよ、と敏美さんにっこり回答。
ロストジェネレーション世代の僕らだからできること
長岡さんが大畑町に戻ってきたのは、むつ市と合併して数年が経った頃。かつて1万3千人いた町の人口は、6,500人までに減っていました。このままでは、大畑町が埋没してしまう……そんな危機感があったと言います。
「存在感を出していかないと何かと後回しになってしまう。大畑ここにあり!というのをなりふり構わず自分たちが叫んでいかなくちゃいけない」
ロデオの共通項として、同じ時代を生きる使命感があります。
同級生の敏美さん、長岡さん、鈴木さんは、現在44歳。
そのほかのメンバーのほとんどが、30代後半から40代の世代です。
「大畑は林業、漁業とかなりいい時代があったんですが、ここ数年は辞めていく人も増えて苦しくなっている。そのことに僕たちの世代はすごく危機感を持っているんです。ところが上の世代を見ていると、成功体験が強くありすぎるため、現状を変えることに腰が重いわけです。このまま静かに幕引きを図りたいというか。その人たちに何かやりましょうって言ってもなかなか腰をあげてはくれない。ちょうど僕たちは、就職氷河期を経験したロストジェネレーション世代……栄えていた時代の残り香もきちんと感じながら、いい思いもさほどしていない……そういう世代なんです。だからこそ、今ここで先々への危機感も抱いている自分たちが立ち上がらないと地域が消滅してしまうんじゃないかなって。そこはみんな共通して持っているんです。30代、40代になって、少し余裕ができて、ある程度やれる力を持ったからこそできる。若すぎてもできないし、年を取ってもできない。自分たちが、ちょうど次の世代へバトンを受け渡す世代なんです」
同じ土地に生まれ、同じ時代に生きているからこそ、分かち会える使命感。
ロストジェネレーション世代の彼らが再びこの地で出会い、共鳴しあったのは、偶然ではなく、必然だったのかもしれません。敏美さんは力を込めて言います。
「わいどにとって、バカだなって言われるのは最高の褒め言葉。既成の概念から外れて、突拍子もない……あいど、まんだわげわかんねぇ(あいつら、またわけのわからない)ことやってらじゃ、って。それがいい。それが地域にとっても刺激になる。10年若ければやりたかったと、みんな言うんだ。今この時代で恥ずかしくてもいい、間違ってもいい、やってみねばわがんねぇことがたくさんある。成功すれば、息子たちの世代に繋いでいける材料にもなるしな。わげぇものと言われるギリギリの世代のわいどでやんねば、なんもできねぇんだ」
活動を重ねるに連れて、ひとり、またひとりと、ロデオの活動を手伝ってくれる若者も増えてきました。
敏美さんの息子・海叶(かいと)くんもそのひとり。高校卒業後、迷わずに敏美さんの船で働きはじめ、ロデオの活動にも興味を持ってくれています。
「お父さんが、いちばんかっこいい」
町のために、迷わず「バカになること」を選んだ敏美さんたちの背中を、次の世代を担う若者たちもちゃんと見てくれているようです。
外からの刺激で、町を元気に。
一度は町を出て行った人、ずっとここにいる人。
違う時間を過ごしても、それぞれ経歴は違っても、変わらない「故郷」という存在が、彼らを強く結びつけ、新しい絆を生み出してます。
「大畑は頭おがしいのばりいる(笑)。だから化学反応が起こる」
おもしろそうに話す敏美さん。その隣で「そうそう」と笑う長岡さん。
なんだか第2の青春を楽しんでいるかのようで、ちょっぴり羨ましくも思いました。
「結局、小さな町の中で馴れ合っていてもだめなんです。わざわざ地域の外の人に来てもらうことによって、ここいいですね、ここなんですかって働きかけをしてもらう。そうすることによって、少しずつ地域が変わっていくんじゃないかと思うんです。地域の人たちを、地域外の人たちに褒めてもらうことが必要なんです」
2018年の団体結成から、今日に至るまで開催した漁業体験ツアーは4回。そのうちのひとつも同じ内容のものはありません。桜の時期にはお花見海鮮BBQ、漁師の行きつけの銭湯で入浴、サーモン5種食べ比べ、タコ釣り体験……一度来てもらった人がいても、また楽しんでもらえるように。漁師たちと一緒にアイディアを出し合い、趣向を変えて行って来ました。
長岡さんと敏美さんは、これからの目標を語ります。
「地方の田舎町にとって、地理的に来るのが大変というのはどこも一緒。そうするとどうやって、わざわざ来てもらうかということと、一度来たらおやぐまぎ(親戚)として巻き込むこと、さらに衰退しかかっている一次産業をいかにして六次化していくかが重要です」
「大間のマグロに対して、ここはサーモンの町にしていきたい。ブランド価値を高めていく。鮭、マス、トキシラズ、マスノスケ、養殖の海峡サーモン。ここは5種類のサーモンが食べられる町。大間さ行く前に、ちょっとサーモン食べて行くかって寄ってもらえるようにしたい。わざわざ大間に行くのに、みんな素通りしていくんだもの。なんとか町ぐるみで足止めをかけねば」
一次産業を振興し、自然の恵みをどう活かして地域を持続させるか。
手探りを続けながら、海峡ロデオ大畑はこれからも仲間と挑戦を続けます。
「自分たちのことを理解して、共鳴して、一緒にやっていくっていう若手の輪が広がっていくともっといいですね。それが大畑だけじゃなくて、下北半島全体にも広まるといい。そしたらもっと大きな『何か』ができるんじゃないか。それが『何か』はまだわからないけれど……」
「大丈夫、すぐわかる!」と、間髪入れずに敏美さん。
敏美さんが言うと、本当に大丈夫な気持ちになるから、不思議です。
敏美さんと一歩さんは、県内の漁業者が集まる会議の場で積極的にマイクをとり、活動を報告しています。プロジェクターを使ってお話するのも、今ではお手のもの(もちろんデータは長岡事務局長や敏腕ブレーンたちが作成)。
会場でロデオTシャツを販売することもあります。
もっと多くの人に活動を知ってほしい。大畑だけでなく、下北全体が底上げしていくきっかけになれば……そんな願いを込めて、漁師自らが表に立ち続けているのです。
*
きっかけは、漁師同士の絆。そして同級生の再会。
地域の漁業振興に、後継者確保、町の活性化。
みんなの思いがひとつになったら、自然とチームが動き出していました。
『誰ひとり、欠けてはダメなんだ』
その言葉が爽やかな一筋の風となって、私たちを旅へと誘います。
バタンバタンと揺れる船に乗り、魚を獲って、食らう。
漁師の町にどっぷりと浸りながら、とことん夜まで飲む。
初対面なのにどうしてこんなに語り合ってしまっているのだろうかと首を傾げる人もいるでしょう。
生まれ育った町の空や懐かしい仲間を思い出す人もいるでしょう。
それも旅の一興。
海を眺め、肩を組んで歌を歌えば、あなたは漁師とこの町が、きっと好きになるはずです。
海峡ロデオ大畑。
一人ひとりの主人公が織り成す、とびきりの町の物語。
彼らに会いに、本州最北の地・大畑町へ。
「わざわざ」足を運んでみませんか?
※次回の海峡ロデオ大畑・漁業体験ツアーは2020年春頃を予定しています。
詳細は決まり次第、Facebookにて告知!
https://ja-jp.facebook.com/kaikyorodeoohata/
文・撮影=高橋由季
写真提供=海峡ロデオ大畑
※2019年2月に取材・執筆したものを再編集しました。