100年後のフィッシャーマンへのメッセージ 〜あしたの日門網〜

宮城県気仙沼市本吉町日門網のある本吉町沿岸には、暖流と寒流が交わる混合水域ができているため魚群の集中が見られ、古くから自然環境に適した定置漁業の好漁場として発達してきました。定置漁業とは、沿岸の魚の回遊路に張った袋状の網に魚を誘導して捕獲する漁法で、魚が回遊する習性を利用して一度網内に入った魚を逃しません。かつては、大網や建網とも呼ばれ、ブリやサバ、イワシ、イカ、サケ、マス、ヒラメなど、沿岸域に来遊するさまざまな魚を捕獲します。

半数が若手移住者、異色の漁船

昭和17年創業の「カネダイ」は、気仙沼に寄港する船舶への燃油販売業をはじめ、廻船問屋業、漁業、水産加工業と事業展開する一方で、市内の学校給食や病院施設等へ水産食品を提供するなど地元とのつながりを大切にしています。その「カネダイ」で、漁業部門の一翼を担うのが『日門定置網漁業生産組合』。操業メンバーは20-40代の若手4名と60-70代のベテラン3名の7名。若手4名中3名が移住者という異色の漁船です。

移住者のリーダー的存在の須賀良央さん(40歳)は静岡県出身。

震災直後の3月19日からボランティアとして気仙沼に関わり、漁師になった6年前に移住。正組合員資格も取得しています。震災直後の混乱の時期に、すぐに漁のことを考え前向きに一生懸命生きる姿に「漁師の背中がカッコよく見えた」と言います。

「この地域は、ヨソ者に対してオープンで優しかった。もちろん厳しい人もいるけれど、漁師になるステップのハードルを下げてくれました。漁業って、船や資材の初期投資にメチャクチャお金がかかるじゃないですか。けれど、応援してくれる人が多くて、漁具や船も使ってないものをもらって、好き勝手やらせてもらっています」

すかさず横から「やらせてもらってるじゃなくて、ぜんぜん聞いてないだけだろ」とツッコまれ、笑いが起こります。

 

この日門網「第二十八喜久丸」は、乗組員の一体感が見事。

朝2時半に港を出て、漁場についても実にテキパキと作業をこなし、水揚げのために市場に向かうまでの間に朝食の準備。

水揚げを終えて港に戻るまでの船上で大盛のご飯に、これも山のような刺身、アラの味噌汁を車座でいただきます。厳しい表情で漁をしていた時とは一転して和やかな雰囲気。

「ご飯は大事。これでみんなの機嫌が変わるので、飯炊きは気をつかう」と、コック長の須賀さん。

宮城県栗原市出身の笠原一城さん(41歳)は3年ぐらい前から、最初は網の入れ替えに加わったことをきっかけに「ハマった」んだそう。

昨年から正式に船に乗るようになり、「歴史を感じて、日門網じゃなかったら漁師になっていなかった」と言い、今は震災後に育った地域の子どもたちの生きる力を引き出す『浜わらす』の代表も務めています。

「震災後に育った子どもたちが、浜のことも、海のことも知らなくて。次の世代だけじゃなくて、その次の世代も見据えて、船に乗せたり、浜の掃除をしたりしています。高校生になった子が海の仕事をしたい、漁師になりたいという子も増えています」

遊びにおいでよ

海は恐ろしいけれど、目を背けていては<海と生きる>ことはできません。

とはいえやはり、海の仕事は命がけ。沖に出る際は互いに「信用できるかできないか」。生半可な覚悟では、自然の力には抗えない厳しい現実があります。

だから須賀さんも「お金じゃ買えない、幸せの価値観を見つけられる人じゃないとやっぱり難しい。やっぱり好きモンじゃないとできない」と言います。

「海の上は理想と現実のギャップがあり、やってみて合うか合わないかがわかるというのがあります。やる気があっても、実際に船に乗ると全然ダメだったり。ここ日門網定置に関しては、山崎なんかもそうですけど一回遊びにおいでよと誘って、何回か来ているうちにモノになりそうだ、とか、体験してみてそれでもやりたいっていう子であれば、一緒にやんない? と声をかけていました」

その山崎風雅さんは、神奈川県出身の24歳。震災後に岩手県陸前高田市の地域おこし協力隊として東北を訪れ、漁師になる道を模索。日門網にも月に一回、一年かけてチョコチョコ遊びにきて、今年の4月末から正式に漁師の道を歩みはじめた、「第二十八喜久丸」の紅一点。

 漁の間、小さく華奢な体を思いっきり使いまるで延々綱引きをしているようです。汗を拭い船上をキビキビ動く姿は実に楽しそう。

覚えることは、まだまだたくさん。獲れた大きなマンボウの解体も、大事な仕事のひとつ。悪戦苦闘していると横から須賀さんが「いつまでやってんだ」とハッパをかけます。

なぜ漁師になりたいと思ったの?と聞くとすかさず、「海が好き。今はこの仕事以外考えられない」。

獲れた魚をスマホでパシャリ!

船上で撮りためた写真は、さまざまな魚のクローズアップ。青や緑や銀色がキラキラ輝く魚体の接写に「宇宙を感じるでしょ」と目を輝かせます。

※山崎さん提供

「本当に縁だなと思います。好きなのは、日門網の考え方というか姿勢。漁船に分別のゴミ箱があるし、小さい魚は逃がそうとする。細かいことだけど、それを大事にしているっていう姿勢がすごく尊敬できました。

単純に漁業が面白いところだけじゃなくて、どういう漁師になりたいかなと思ったときに、一番最初に染まりたいと思ったのは、ここの人たちでした。
最初に思ったことと、違うこと? ギャップで苦しんだことはないです。手取り足取り教えてくれるし、みなさん優しくて。楽しいです」

山崎さんの<告白>に照れて、視線を逸らす男漁師たち。

船員を束ねる大謀(親方)の大原謙一さん(47歳)は、17歳からマグロ船に乗り15年。それから定置で漁師生活は30年。漁師を辞めたいと思ったことはないと豪語します。そんな漁師一筋の大原さんが求める漁師になりたい人に求めるのは「海が好き」ということ。

「船に乗ったら男も女も関係ない。俺は女でも、別になんとも思わない。やる気があるんだったらいいよ」。あくまでも、海が好きで、漁師になりたくてという山崎さんの姿勢に応えています。

「震災前はほとんど年配者。でも、震災後にこうして若い人も漁師になりたいって来てくれた。今の若い人たちには早く仕事を覚えて欲しい」と期待しています。

「大原さんは、性別は違うから船のトイレの問題だったり、女性特有の体調の問題であったり、気にしてやんないといけないなとはポロッと言っていた。そういうところの、受け入れる側の気遣いは大事なこと」と、すかさずフォローする須賀さん。「とにかく努力」と豪快に笑う大原さんの細やかな一面をみんなは知っています。

めざせ! 環境修復型漁業

新規で漁師になりたいと思っている人に求めるものは?

「やっぱり人。一生懸命だったら、みんなが応援してくれる。困りそうだなというところを予測して、アドバイスしてくれたり、物をくれたり、注意してくれたり、怒ってくれたり。山崎に関しても、一年かけて乗組員に仕向けていったというか。長い時間をかけて次の世代を育てていく、引っ張ってくるということは考えています」

歴史ある浜だけれど、この船は慣習に囚われていません。

さて、今後やりたいことは何でしょうか?

 

2−3年で地元の高校から地元の子たちを引っ張ってきたい。

ドンコ実習もいいね。

道の駅でも色々やってみたい。

地域の人たちに振る舞う「番屋まつり」大漁振舞いに近いことをやってみたいし、朝市もしたいーー。

 

地域の人たちと一緒に、海以外、陸での漁師活動の夢も広がっています。

藩政時代から、一大魚礁群を成していたという本吉地方の沖合。

かつては大漁旗がいつも翻っていた港も時代の流れとともに、獲れる魚も漁獲も変化しました。

 

それでも「海が大好き」な彼らは、ずっと先のことを考えています。 

船上にゴミ箱が設置され、ペットボトルは蓋とラベルを外す。浜のゴミ拾いをしていると漁具の多さも目につきます。

「人間の力では大したことできないけど、できることは一つでもやっていかないと。海にゴミ捨てるとか、かっこ悪いな・・・」

海が好きだから、自分たちにできることをひとつでも。

<私たちは環境修復型漁業をめざします。私たちは100年後の漁師たちへ責任ある行動をおこします>

 

(文=藤川典良 撮影=Funny!!平井慶祐)

取材は2020年8月に行いました。

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