【スペシャル対談】漁業界の先輩・鳥羽一郎氏から、若手漁師におくるエール。


2014年の団体設立以来、水産業を新3Kーーカッコよくて、稼げて、革新的な産業に変えるべく活動を行っている東北・石巻の若手漁師団体「フィッシャーマン・ジャパン」。
三陸の海からはじまった水産業の未来を変える挑戦は、今や全国各地に広がりを見せています。

今、若い漁師たちが、どんなことを考え、活動しているのか。
もっと知って、エールを送りたいーー

そんな思いで、団体の本拠地・宮城県石巻市にやってきたのは、漁業界の大先輩である鳥羽一郎さん。漁師としての経歴をもち、海に生きる男たちを歌で鼓舞し続けてきた演歌歌手です。三重県鳥羽市の漁師一家に生まれ育ち、若き日は遠洋漁船の乗組員として働いていたという、歌謡界でも異色の経歴の持ち主。代表曲である「兄弟船」をはじめ、「男の港」「北の鴎唄」など、港町に欠かせない多くの楽曲を歌い続けています。

はじめまして、鳥羽一郎です。

長谷川「ようこそ石巻へ! 我々フィッシャーマン・ジャパンは、2014年に地元の漁師、魚屋、あとは自分みたいなよそ者の人間が集まって立ち上げた団体なんです。水産業をもっともっとよくしていくことで、子供たちが憧れるような職種にしていけたらいいなと思っています」

鳥羽「最初にこういう団体がいるって聞いたときは、半信半疑だったよ。ピンと来なかったよね。ホームページの写真見たら、かっこいいじゃない!みんな若いし、漁港にいろんな格好の人がいるし、おもしろいなと思って。会いに来ちゃったよ」

阿部「鳥羽さんからお話をいただいて、すごく光栄でした。それこそ親父とかじいちゃんが鳥羽さんの歌を聞いてるのを横で見て育っているので。宴会でもすれば、誰かが必ず歌いますからね(笑)」

写真中央/阿部勝太(フィッシャーマン・ジャパン代表理事)
宮城県石巻市十三浜の3代目ワカメ漁師。高校卒業後、5年で必ず戻ると約束をし、東京や愛知で営業職などを経験。地元に戻った2年後、東日本大震災が発生。再建のために浜の漁師で手を組み「漁業生産組合 浜人」を設立。自ら販路を開拓し、シフト制の働き方を導入するなど、新しい水産業の形を模索し続けている。

写真右/長谷川琢也(フィッシャーマン・ジャパン事務局長)
3月11日生まれ。自身の誕生日に東日本大震災が起こり、思うところあって東北に関わり始める。石巻に移り住み、石巻を拠点に被災地や東京をうろうろしながら東北の人たちとビジネスを立ち上げる最中、震災復興を超え、漁業の未来をみつめる漁師たちと出会う。民間企業を巻き込んで漁業のイメージを変えるプロジェクトや、国際認証取得を目指す試みを行うなど、海と人と未来を繋ぐプロデューサーとして奮闘中。ヤフー株式会社所属。

長谷川「すでにうちの事務局スタッフと一緒に、石巻のいろんな現場を見てまわられたと思うんですけど、どうでしたか?」

鳥羽「さっきも他県から移住して漁師になった子たちに会ったんだけど、いい顔してたね。表情がすごく印象的で。気のせいかもしれないけど、石巻に来てから若い人にしか会ってないんだよ。それでいて、いい顔してるんだ」

長谷川「ありがとうございます。団体として力を入れているのが、TRITON PROJECTという次世代の漁師を育てる活動です。石巻市をはじめ、各自治体からお仕事をいただいているんですけど、漁師になりたい人の問い合わせ窓口を作ったり、漁業体験をやってみたり、空き家をリフォームして新人漁師が暮らせるシェアハウスを用意したり、いろいろな面でサポートをしています。石巻には全国各地から漁師になりたい若者がやってきていて、この7年で40人が就業しました」

鳥羽「40人! それはすごいね」

長谷川「若者を受け入れる体制を整えるためにチームづくりにも力を入れているんです。行政、漁協、漁業者、民間、みんなが一丸となって人を育てようとする姿勢は石巻は日本一だと自負しています」

鳥羽「農業もそうだけど、漁師の仕事って生きる糧を獲ったり、育てたりする仕事。どこにいっても食卓の上には、必ず海のものがあると思うよ。大切な仕事なんだよね。自分も命懸けで魚を獲ってた時代があるから、漁師には本当、頭があがらない」

長谷川「うちの団体メンバーは沿岸漁業、特に養殖業の人間が多いんですけど、鳥羽さんはどんな漁をやられていたんですか?」

鳥羽「パナマやインド洋でマグロやカツオを獲る遠洋漁業の船に5年乗ってたんだ。赤道直下の場所だからね。魚を入れておく船の冷凍室と外では気温差が90度近くあって。とにかく過酷だったね。『鳥羽さんは海の歌を歌うとき、漁師だったときのことを思い出しながら歌っているんですか?』ってよく聞かれるんだけど、思い出しながら歌ったら歌えたもんじゃないよ(笑)」

長谷川「(笑)。自分も石巻に来て初めて漁師に出会って、純粋にすごいなって思ったんです。自分たちの食べ物のために、こうして海と向き合って働いてくれてる人たちがいるんだと。自分は漁師にはなれないけど、自分が得意なことで一緒にできることがあるんじゃないかなと思って、一緒に団体を立ち上げたんです」

 

水産業に選択肢を増やしたい

鳥羽「最初は何をするにも風当たりも強かったんじゃない?」

長谷川「そうですね。特に阿部なんかは、震災直後から改革の真正面に立ち続けてきたので……風や波しぶきを浴びまくった11年だったと思います(笑)」

阿部「最初の3年くらいは相当言われましたね。とにかくやってみせるしかないと思って……がむしゃらでした。地元と戦いながら改革していこうとする若い奴らが、他の浜にも結構いて、そいつらと仲良くなったんですね。それがすごくよかった。なんとか漁業を盛り上げていこうっていう思いで、どんどん結束してったので。新しいムーブメントというか、日本の漁業の中でも三陸っていうのはある意味最先端になってきていると思います。自分たちのいいとこも悪いとこも参考にしてもらって、全国の漁師たちのモデルになれたらいいなと」

鳥羽「今までと同じやり方じゃダメだとわかっていても、なかなか変えられないものだからね」

阿部「東北はあれだけの被害があった場所なので、ひとつのきっかけになったのかなと。表向きは反対はしているけど、他に稼げる方法があるならやってみるか、という感じで、少しずつ自分たちの考えを受け入れてくれる人が増えていった感じです。でも、全国的にはまだまだ若い世代の意見を聞いてもらえない傾向が強いと思います。我々としては、喧嘩したり、戦ったりして改革したいわけじゃなくて。これからの漁業を守るために、いろんなひとを巻き込みながら、選択肢を増やしていくことが必要だと思っているんです」

鳥羽「今は一攫千金の時代じゃなくなってきてるからね。資源量もどんどん減ってきている。阿部さんのところは、震災後に会社をつくったんだよね?」

阿部「そうです。震災後は同じ浜の漁師で船も加工場も共同で使おうと、生産組合法人にしたんです。漁業を再建するためではあったけど、震災前から漁師の働き方、稼ぎ方に疑問があったんですよね。これから漁業を辞めていく人間も目に見えている中で将来を考えたときに、ひとつでもふたつでも続けられる方法があればと」

鳥羽「昔からの漁師からすれば、漁師は海にいる時間が長くてなんぼだ、みたいなところもあるけど、陸でもちゃんと働く場所があれば、高齢で海に出られなくなった人も雇用が保てる。時代にあった新しいやり方が生まれていいんだと思うよ。漁師たちは時代に取り残されたんじゃない。働く選択肢が増えたってことなんだな」

長谷川「資源だけでなく、人も減ってしまっているので、どう守り、育て、増やすか、というのがこれからは大切になると思います。ひとりやいち地域だけじゃなくて、海は繋がっているので、そういう課題を全国で共有できたらいいなと。自分たちは活動をやっていく上で、『一緒に』という考えを大事にしているんです。誰かひとりが頑張っても仕方ない。ベテラン漁師も新人漁師も、僕みたいな漁師じゃない人間も、みんなが『一緒に』考えて、行動することが大事だと思います」

鳥羽「自分もいろんな場所を回ってるから、若い連中とベテランがぶつかってる姿も見てきたよ。『何言ってんだ若造が』とか、『年寄りは黙ってろ』なんて、絶対言っちゃだめな言葉。ひとつ思うのは、若い人の新しい発想に僕らは到底ついていけないということ。だからこそ、大事にしないといけない。自分たちにはできないんだからさ。お互いを敬う気持ちが大事だよね」

長谷川「ベテランの先輩方には先輩方の役割があって、若い子たちには若い子たちのやり方や、役割があるんだと思います。ぜひこれを機に鳥羽さんには、ベテランのみなさんと若い世代を繋ぐ応援団長になってもらいたいなと」

鳥羽「オーケー!なりましょう(笑)!」

若きフィッシャーマンにエールを

長谷川「新曲の『北海の花』は、若い漁師が主人公ですよね」

鳥羽「久しぶりの海の歌。ただの海の歌にしたくないというのがずっとあってね。一度は夢を追って都会に出たんだけど、故郷に戻って、親父と一緒に船に乗ることを決意する若い漁師の姿を描いた一曲にしたんです」

長谷川「偶然にも、阿部をはじめとするフィッシャーマン・ジャパンのメンバーがみんな同じ境遇で」

鳥羽「そうだろう。いろんな場所でそういう話を聞いてきたから、そういう歌を歌いたいって思ったんだよ。それが北海道であっても三陸であっても変わらない」

長谷川「今回、ミュージックビデオもご一緒させていただきました。昨日ほかのメンバーたちとも撮影をしましたが、どうでしたか?」

鳥羽「みんな若くて、熱い思いがあってパワーを感じたね。夜の漁港の撮影もよかったよ。最高にかっこいい作品ができたと思ってます」

長谷川「ありがとうございます! これから我々の活動を応援してくださるということなので、最後は握手するシーンも入れさせてもらいました(笑)」

鳥羽「海の歌を歌う人はたくさんいるけど、漁師もやって、今歌ってる人はなかなかいない。漁師の気持ちがわかる立場としても、これからも海の歌を歌っていきたいし、いろんな場所で、みなさんの活動を語っていきたいなと」

阿部「ありがとうございます! この出会いが世代の垣根を超えるきっかけになることを祈っています」

鳥羽「これからもどうぞ末長くよろしくお願いします」

水産業の未来をつくろう。一緒に。

対談を終えた鳥羽さんが、力強く一言。

「新人漁師もベテラン漁師も、僕は応援していきます。ここで見聞きしたことを責任を持ってみなさんに伝えていく。そしてこれからも、どんどん新しい知識を学んでいきたい。漁師の端くれとして、海を歌う歌手として」

あらゆる世代の人たちが手をとりあって、水産業の未来をつくる。
そのひとつの象徴として。
鳥羽さんはこれからも、歌い、伝え続けていきます。

▶︎フィッシャーマン・ジャパンが登場する新曲
「北海の花」ミュージックビデオはこちら

※2022年5月取材・撮影
写真=平井慶祐 文=高橋由季

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