いま、漁師になりたいという若い人が気仙沼に移住してきています。京都や福岡など全国各地から。10人の担い手が気仙沼で誕生しています。
彼らはもともと漁師の息子というわけではありません。そのため、将来を考える上で避けては通れないのが、漁場確保や漁業権のこと。「将来どんな漁業ができるのだろうか」「独立することはできるのだろうか」という問題に直面することになります。
よそからやってきた若い人が漁師としてどのようなキャリアを歩むのか。地域によってルールがバラバラだったり、前例がないため、あいまいな部分が多く存在します。そこでこの記事では、気仙沼で漁師になった方に取材。そもそもどうして気仙沼にやってきたのか。そして将来どのようなプランを考えているのか。気仙沼の担い手育成の今を取材しました。
【気仙沼で漁師2年目・原口晃瑠さんの場合】
気仙沼の鮪立という地に移住し、牡蠣漁師のもとで働いている原口晃瑠(ひかる)さん。昔から釣りをしたり、潜ったりして、海が好きだったそう。偶然、気仙沼で漁師の募集を見つけ、2年前に福岡から気仙沼にやってきました。
「気仙沼で最初に乗った船は、外洋に出るので船酔いがひどくて1ヶ月ほどで降りることになりました。でも、漁師になりたいという思いは変わらなくて、牡蠣やワカメだったり、いろいろな漁師さんのお手伝いを続けました。そんな中、牡蠣漁師さんのところで働いてみないかと声をかけてもらったんです」原口さんが働くことを決めたのは、牡蠣・ホタテ・ワカメと多くの海産物を養殖している住喜水産。ちょうどいまは、ホタテの出荷作業が忙しい様子。
「出荷作業のときは、2時に起きて3時から仕事開始ですね。親方のご家族も一緒に4人で船に乗っていきます。親方は船を回して、自分はホタテをサイズごとに分ける作業を担当することが多いです。最初は結構きつかったけど慣れました」と笑って話してくれる原口さん。いまでは親方漁師から、動きがよすぎると太鼓判を押されるほどです。
「一番の目標は、自分の船を持って、自分の漁場を持つということですね。いますぐには難しいかもしれませんが、いずれ漁場が空いていくんじゃないか、と親方とは話しています。でも、まずは目の前のこと。船舶免許をとって、メカブの収穫作業のときに自分で運転できるようになりたいです。自分が船を操縦しているところはまだ想像もつかないです(笑)」最近は、地元の方がやっていたECの仕事を引き継ぎ、副業を始めたそう。漁師としての道はもちろん、地域で生活することも楽しんでいる様子でした。
【気仙沼で漁師2年目・石井洸平さんの場合】
もう1人、2021年9月から、気仙沼の大島にあるヤマヨ水産で牡蠣漁師として働く石井洸平さんにもお話を伺いました。学生時代から自然が好きで、自然と向き合う仕事がしたかったと言います。大学卒業後、水産業のことを学び、京都で3年ほど定置網の漁師をやっていました。
「実家のある東北で漁師の仕事を探し始めたとき、気仙沼での短期漁業研修の募集を見つけました。牡蠣の温湯作業の手伝いをする研修だったのですが、作業はとても丁寧なのに、スピーディーにこなしていく親方の姿に惹かれました」牡蠣以外の生き物を死滅させるために牡蠣に熱湯をかけていく温湯作業。「最初は肉体的というよりも、精神的な疲れがすごくて。うまくやろうと思っても全然できませんでした。でも、試行錯誤していくうちに、だんだんと効率的にできるようになってきました」
もうすっかり海の仕事にも慣れた様子の石井さん。取材時に受け入れていた研修生からは「石井さんは本当に丁寧に教えてくれるんです」と言われる存在となっていました。これからのことについても聞いてみました。
「やっぱり漁業権をもって自分で漁業をやりたいというのがあります。まずはカゴ漁、刺し網、タコ釣りですね。そして将来的には自分で牡蠣の養殖ができたらなと思っています。でもそれは自分だけで決められることではないので、いざやるってなった時の手札を増やすために日々勉強しているという感じですね」
そんな石井さんの思いに対して親方はとても協力的です。「漁業権」を管轄する漁協とも頻繁に話しあったり、視察や勉強会にも積極的に参加した方がいいと話してくれたそうです。「例えば私が独立するとなったとき、牡蠣を剥く「むきこさん」を探すのが大変になる可能性が高い。だから、自分にあった商売の仕方を見つけなければならないねって、親方と話したりしています」日々の牡蠣養殖の仕事に慣れながら、将来のことは親方と相談しながら決めていく。そんな漁師生活を送っていました。
勉強会の様子。上段左から4番目が石井さん、3番目が親方の小松武さん。下段左から1番目が原口さん。
漁業のことも、生活のことも。サポート体制はばっちり。
そもそも気仙沼で漁師の担い手が少しずつ増えてきていることはご存じでしょうか?
生鮮カツオの水揚げ日本一を誇り、「日本一漁師さんを大切にするまち」をスローガンとして掲げている気仙沼市。そんな漁業が盛んなまちで、2020年4月から、気仙沼市、宮城県漁業協同組合(漁協)、一般社団法人歓迎プロデュース、一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンらが一緒になって、担い手育成事業「TRITON PROJECT(トリトン プロジェクト)」を始めました。
https://job.fishermanjapan.com/column/2409/
漁師体験ができる漁師学校の企画・発信や、勉強会や視察の開催など、実際に漁師になりたい/なった人へのサポートを行っています。
現場の漁師さんとコミュニケーションをとり、トリトンプロジェクトの要となっているのが歓迎プロデュースのメンバー。その一人である鈴木允(まこと)さんは、築地の元セリ人であったり、学生時代に漁師を経験していたり、水産業界に長く勤めていた経験を活かして、新人漁師のサポートを行っています。仕事で全国の牡蠣産地を歩き回った経験もあるとか。
「海の知識は漁師さんに敵わないかもしれないけど、市場ではこうやって売られているよとか、他の地域ではこうやって育てているよとか、そういう形で漁師さんや担い手くんたちの役に立てるんじゃないかなと思って活動しています」
鈴木さんと一緒にサポートをしているのが、同じく歓迎プロデュースの男乕祐生(おのとらさちを)さんです。2014年に奈良県から移住してきました。「私は水産業界で働いたことはなくて、漁業の専門的な知識はないんです。でも、漁師になれば、仕事だけじゃなくて生活も変わります。自分が移住者ということもありますし、ここでは住む場所を探すのも大変だから、生活面から漁師さんのサポートができたらなと思っています。漁師さんとおしゃべりするのは好きですし、なんでも相談にのれるようになれたらなって」
漁業面でのサポートと生活面でのサポート。さらに、行政とも連携することで、漁具の補助金といった制度面でのフォローも忘れません。漁師になりたい人を募集し、漁師につなぐことで、これまでに10人もの水産業の担い手が気仙沼市内で誕生しています。
気仙沼で漁師になりませんか?
いま気仙沼では、石井さんや原口さんのように、新しい漁師が誕生し、自分らしく仕事をしています。「独立して自分で漁業をやってみたい」その夢を叶えるのは決して簡単な道ではないけれど、一歩ずつ着実にやっていくしかありません。気仙沼にはその夢を叶える受け入れ先も、サポート体制も充実しています。「キャリアのことも生活のことも。知らないところで働くって、やはり不安になることも大きいと思います。漁師になった人が、気仙沼を選んでよかったと思ってもらえるようなサポートがしたいです」歓迎プロデュースの鈴木さんと男乕さんはそう話します。新しいことを学ぶ視察・勉強会だけでなく、定期的な若手漁師同士の交流会も開かれ、同世代のつながりもできています。いまはまだ若い人たちが、これからの気仙沼の水産業を引っ張っていくのが楽しみです。
文:香川幹 写真:平井慶祐
※2022年9月から2023年3月にかけて取材しました。