「漁師になりませんか?」 20歳の彼女が漁師に出会い、人生を変えた8年の物語

「漁師になりませんか?」 20歳の彼女が漁師に出会い、人生を変えた8年の物語

漁師の担い手を増やすために、東北の浜を駆け回る“フィッシャーマンの女子マネ”がいる。フィッシャーマン・ジャパンの事務局スタッフとして働く、島本幸奈だ。2011年4月、震災ボランティアをきっかけに石巻に移住。もうすぐ8年が経つ。東北に所縁があったわけでもなければ、漁師の娘でもない。彼女はなぜ“海に生きる”のか。

たった1人で飛び込んだ石巻。そこからすべては始まった

まだ辺りが薄暗い早朝3時。漁師たちが慌ただしく動き回る船上で、目を輝かせながら出航を待つ女性がいる。「何度船に乗っても、やっぱり海に出るのはワクワクしますね!」。満面の笑みを浮かべながら、その女性は声を弾ませた。

フィッシャーマン・ジャパンのスタッフ、島本幸奈だ。

今から遡ること約8年。あの日を境に、島本の人生は一変した。2011年3月11日に起きた、東日本大震災。あの瞬間は、生まれ育った千葉県のホテルで働いていた。「1000年に1度といわれる大震災。何かできることがあるなら、力になりたい」。当時20歳になったばかりの島本は、たった1人で石巻に飛び込み、ボランティアに加わった。瓦礫撤去、炊出し…できることを、必死にやった。

当初予定していた派遣期間は2週間だったが、「まだ力になれることがあるはず」とそのまま石巻に住み込み、ボランティアを継続。さらにその後、石巻の産品を販売する仕事に就いた。気がつけば、約3年が経っていた。

そんなある日のことだった。「一緒にやろう」。石巻で知り合った、2人の男に声をかけられた。フィッシャーマン・ジャパンの代表・阿部勝太と、事務局長の長谷川琢也だ。聞けば、なにやら「水産業を変える」と目をギラつかせている。ちょうどその頃、阿部と長谷川はフィッシャーマン・ジャパンの設立準備を進めていた。その立ち上げメンバーの1人として、島本は誘われたのだった。

「自分が憧れるカッコイイと思える大人たちの中で、同じ未来を見てみたい」。島本は意を決して、漁業の世界に飛び込んだ。

 

漁業の世界へ。だが、大きな壁が立ちはだかった

漁師の担い手を増やす——。これが、島本に課せられたミッションだった。

プロジェクトの名は、「TRITON PROJECT」。水産業の新たな担い手を増やすため、漁業に特化した求人サイト「TRITON JOB」や、見習い漁師が居住するシェアハウス「TRITON BASE」などを運営。全国から漁師になりたい人を集め、彼らを受け入れる親方漁師のもとで経験を積んでもらい、一人前の漁師に育てるためのサポートを行っている。

島本は、このプロジェクトに発足当初から関わる数少ないスタッフの1人だ。漁師や漁協との交渉から、求人情報のコンテンツ制作、担い手希望者の受付、さらには受け入れ後のサポートなど、多岐にわたる業務を必死にこなした。

ただ、壁は厚かった。

まずは、漁業そのものの厳しい現実が立ちふさがった。漁業は衰退著しい産業の筆頭格だ。「キツい、汚い、危険」という「3K」を思い浮かべる人も多いだろう。実際、1961年に約70万人いたといわれる漁師は、1990年過ぎに30万人ほどにまで落ち込み、2017年にはさらに半減。平均年齢も60歳を超えている。「このままではそう遠くない将来、私たちが魚を食べられなくなる日がくるかもしれません」。島本自身も、そう口にするほどだ。

それから、現場の問題。漁師になりたい若者を雇ってくれる親方漁師は、そう簡単に見つからなかった。それもそのはず。そもそも漁師には通年雇用の概念がなく、さらにそれが見ず知らずの若者となれば、首を縦に振る漁師が見当たらないのも頷ける。

島本には、忘れられない光景がある。初めて漁に連れて行ってもらったときのこと。自然を相手に長い年月をかけて海産物を育て、ときには荒れ狂う海と向き合う漁師の姿に、「こんな世界があるのか」と衝撃を受けた。そこで味わった海産物は、今まで食べたどんなものよりも新鮮で、おいしく感じたという。

「昔から海産物は好きだったんですが、それを獲っているこの人たちはすごい!って感動しちゃったんです。思えば、農業は学校の授業で野菜を育てたり、大人になるまでに触れる機会はあるけど、漁業はなかなかないですよね。私たちが普段口にしている魚を、漁師さんたちがどれだけ手間をかけて、真心を込めてつくっているのか。その思いや漁業の魅力を知る人が、少しでも増えてほしい。そして、それを私が広めたい。あの経験が、私の原点なんです」

だからこそ、漁師を「かっこよくて、稼げて、革新的」な職業にしたい——。島本は、壁にぶち当たっても走ることをやめなかった。

 

壁の向こうに見えた一筋の光。担い手が根付き、漁業権を取得

「泣いたり、笑ったり、怒ったり。ただただ必死で、食らいつくように走り続けた日々でした」

そう語るように、島本はとにかく浜を駆け回った。何よりもまず、自分自身が漁業のリアルを知る必要がある。知り合いの漁師の元に顔を出しては船に乗せてもらい、漁協や行政に掛け合い、地域住民と酒も飲み交わした。彼らの声に耳を傾け、必死に思いを伝え続けたのだ。いつしか、漁師に驚かれるほど漁業の知識が身についていた。

すると、どうだろう。次第に、うっすらと希望の光が差し込んできた。

フィッシャーマン・ジャパンの考えに理解を示す漁師や漁協が徐々に増え、2015年には石巻市の水産業担い手センター事業を受託。担い手の育成で行政とのタッグが実現した。肝心の担い手も、ここにきて一気に増えつつある。2016年度からの2年間に15人の漁師が就業。これまでに、計30人近い漁師が新たに生まれた。

それだけではない。2016年に滋賀県から石巻の牡蠣漁師のもとにやってきた大野立貴さんは、今では親方から養殖所の一部を任され、一人で育てた牡蠣を出荷するほどに。石巻で結婚し、子供も生まれた。さらに今年2月、雄勝地区(石巻市)で銀鮭・ホタテ漁に従事する三浦大輝さんが、准組合員(共同漁業権)の資格を取得したのだ。

「これは、前代未聞のことです。家族経営が多いこの業界で、しかも県外から漁師になりたい若者を30人も呼び込むなんて、全国的にも例がないはずです。漁業権の取得も同じです。ヨソからやってきた若者が、この地域で漁業権を得ることはとても難しいことなんです。これまで、数えられるほどしか事例はありません。『TRITON PROJECT』としても初めての事例。私にとっても、これは大きな励みになりました」

 

「たくさんの『覚悟』の積み重ねで築き上げられてきた」

「TRITON PROJECT」が始動して約4年。こうした変革の数々は、「たくさんの『覚悟』の積み重ねで築き上げられてきたもの」と島本はいう。

会社を辞めて、身一つで飛び込んでくる担い手たち。通年雇用の概念すらなかった中で、見ず知らずの若者を受け入れる親方漁師。島本もまた、その狭間で揺れ動いた。

「『漁師になりたい』と応募してくれる担い手たちは、今までの仕事も住む場所も投げ捨てて、大きな決意で飛び込んできます。一方で、家族経営が主流の親方漁師さんも、通年雇用を、しかも県外から受け入れることは相当覚悟がいることです。私はどっちも近くで見ているから、もしかしたら彼らの人生を狂わせてしまうかもしれない。最初の頃は、プレッシャーに押しつぶされそうになることもありました」

そんな風に失敗や葛藤を抱えながらも、その度に「私がしっかりしなきゃ」と自らを奮い立たせた。そして、あるとき気がついたという。「最後に決断するのは彼ら自身。私にできることは、情報を提供して、彼らの気持ちに寄り添い、不安を解消させてあげること」。そうやって1つずつ、担い手と親方漁師をつなぎ合わせてきた。

担い手と親方漁師。その狭間で揺れ動いた分、喜びも大きい。担い手たちが親方漁師に「家族のような存在だよ」などと言われながらかわいがられ、浜の暮らしに溶け込んでいる姿を見ると、なんともいえない嬉しさが込み上げてくるという。浜でそんなシーンが垣間見える瞬間が、この仕事の大きなやりがいだ。

「4年前、右も左もわからない状態で始めた担い手事業。漁師さんたちの従来の考えが変わるようなきっかけをつくり、漁協や行政も巻き込み、前進したり、ときには後退したりしながら、全国的にも前例のない道なき道を進んできました。“海の側”にいる人だけでありません。クリエイターやカメラマン、建築家、元商社マン、IT企業の社員。そして、私をいつもそばで支えてくれる事務局のスタッフたち。最初は私ひとりだったけど、今は6人にまで増えました。そんな仲間たちに囲まれて、私はここでチームで0から1をつくり上げる素晴らしさを学びました。地域や業種の枠を越えて、いろんな人がつながり、大きなパワーが生まれる。その分大変なこともあるけど、それが何よりおもしろくて」

島本らフィッシャーマン・ジャパンは今、「水産業を変える」という変革の“波”をいよいよとらえようとしているのだろうか。

 

担い手事業は新たなステージへ。漁師が登場するPRムービーが完成

「漁師になりませんか?」。こんなフレーズで始まるムービーがある。声の主は、島本だ。

フィッシャーマン・ジャパンはここにきて、また新たなステージへ駆け上がろうとしている。「TRITON PROJECT」のプロモーションを強化し、漁師の担い手を“新しい水産業”の世界にさらに呼び込もうというのだ。

その1つが、島本の声で始まるPRムービーだ。親方漁師やその弟子にあたる担い手、漁協職員など多彩な“フィッシャーマン”たちが次々と登場し、海の仕事の魅力や決意を力強く語っている。青い海や豪快な漁のシーンも映し出され、臨場感と疾走感に溢れた力作に仕上げた。かつてこれほど、漁師を前面に押し出したPRムービーがあっただろうか。水産業に関心をもち、漁師を志す人が生まれるきっかけにしたい。そんな思いが伝わる内容だ。

3月3日にはこの動画とともに、2月に雄勝地区に完成した6軒目のシェアハウス「TRITON OGATSU」の披露会を現地で開催した。メディアやSNSなどを通じて、広く発信していく計画だ。さらに、クラウドファンディングにも乗り出した。フィッシャーマン・ジャパンの事務所の一角を改装し、漁師になりたい人たちが気軽に集まり、つながり、一緒に漁業を盛り上げる。そんな“漁師のたまり場”“海とつながれる場所”をつくろうという挑戦に成功した。そして、季節ごとに新米漁師をひとりずつ紹介しながら、旬の海産物をお届けするプロジェクトもスタートしている。

<挑戦中のクラウドファンディングはこちら>
サラリーマンから海の男へ。新米漁師が手がけた「米に合う銀鮭」ってどんな銀鮭!?
https://camp-fire.jp/projects/view/132217

<152人のパトロンからの支援で無事成功しました。みなさま、ありがとうございます。>
海の仕事を知り、海につながる場所をつくって、漁師を増やしたい!
https://camp-fire.jp/projects/view/130948

「まだ“革命”の途中。もっと、おもしろいことが起きる」

ここまでがむしゃらに走り続けてきた島本も、まだまだ挑戦の道をひた走るつもりだ。

水産業の世界で今までになかった道を切り拓き、それを追う漁師の担い手が次々と生まれ、水産業の未来を真剣に考える“フィッシャーマン”がどんどん増えていく。島本は、そんな未来をしっかりと見つめている。それは、石巻や東北に限ったことではない。全国の港町に、担い手育成のムーブメントを広げていく。そう胸に誓っている。

夢や目標は壮大だ。でもその分、不安になることもある。私に何ができるのか。いつも、自問自答しているそうだ。

「周りにいるようなカッコいい大人を目指して、必死に走り続けた日々。あのときも今も、実は『私はこれになりたい』っていうものはまだはっきり描ききれてなくて。私は写真を撮れたり、デザインができるわけではないし、かといって『漁師になる』というのも違うし。でも、漁師さんや担い手をはじめ、フィッシャーマンたちをうまく“つなげる”ことで生み出せるものがあるはずだから、それをつくっていきたいですね。それが、私にできることだから」

石巻に降り立ってから、もう8年が経とうとしている。大人になってからは、ずっとここで暮らしてきた。まだ20代。ほかにもきっと、いろんな人生の選択肢があったはずだ。島本は今、改めて何を思うのだろうか。

「ここで私はいろんな人に出会い、世界がぐっと広がりました。まだ20歳だった私を大きく育ててくれた場所。やりたいことがあって、一緒に笑っていたい人たちがいる。石巻が、今の私の居場所であり、根幹なんです。だからここから、大好きな漁師さんや海のことに関心を持ってくれる人を、もっともっと増やしたい。まだまだ“革命”の途中です。これからもっと、おもしろいことが起きるはず。そんな水産業の世界に、巻き込まれちゃってみませんか?」

 

(文/近藤快 写真/Funny!!平井慶祐・高橋由季)

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