夜明け前の闇の中、荒く冷たい海に浮かぶ一隻の底引き網船。
水しぶきをあびながら、ヒラメやアンコウが入った網を揚げていきます。
「波をかぶりながら、魚を獲る。底引き網漁は、みんなが想像する漁師のイメージに一番近い仕事だと思いますよ」
そう語るのは、小型底引き網船「光勝丸」の船長・後藤修さん(50歳)。
後藤さんが水揚げを行うのは、宮城県の亘理荒浜漁港。
ここで水揚げされる魚の約半数は、底引き網漁で獲られています。
地域の漁業を支える重要な底引き網漁ですが、漁業者の高齢化が進み、担い手不足の問題を抱えています。亘理全体では、震災で漁家が3分の1に減ってしまいました。
宮城県漁協仙南支所の副運営委員長も務めている後藤さんは、今回、地域の先陣をきって求人を募集することに決めました。
「まずは自分の船で若い人を育てたい。それをきっかけに、亘理の他の船にも人が来るような流れを作りたいんです」
静かな口調から語られる一つひとつの力強い言葉には、浜の未来を担う一人の男としての想いを感じずにはいられません。
量より質の追求。こだわりの亘理ブランド
宮城県亘理町は、県南東部にある人口約3万3千人の小さな町です。
漁業の町かと思いきや……私たちを出迎えたのは田んぼとビニールハウス。本当に海はあるのだろうかと不安になりながらも、はるか遠くまで続く道を突き進むと、亘理荒浜漁港が見えてきました。
亘理の漁業を象徴するのは、全体の水揚げ量の6、7割をも占める活魚です。
活魚とは、調理される直前まで活かされている魚のこと。
今でこそ、割烹や寿司屋などの飲食店で取り扱いが多くなった活魚ですが、実はここ亘理が70年以上も前から全国に先駆けて出荷を行ってきました。
それもひとえに、仲買人と漁師の努力があってこそ。
仲買人は魚の価値を理解してくれる販路をきちんと作り、漁師に質を要求する。
その思いに、漁師が応える。
彼らの2人3脚の体制によって魚の質は向上し、亘理は小さい規模ながらも名のある市場に成長してきました。
「船上にいけすがあったり、市場には全国に魚を運ぶための活魚車があったり。活魚出荷だからこその設備が整っていて、セリでも高い値がつきます。
量より質で勝負。
こだわりを持った仲買人や漁師たちが活躍していますが、後藤さんには一抹の不安が。
「活魚がほしいという声に、これからどこまで対応できるのか。10年先のことを考えると、やっぱり若い人に来てほしいんです。活魚出荷の伝統を途絶えさせないためにも」
チーム「光勝丸」へようこそ
後藤さんの船は午前3時に出航し、最初の漁場には1時間~1時間半で到着します。
網を入れて船で2時間ほど引き、網を揚げる作業に移ります。
「亘理の活魚ブランドは、船上での素早い選別が作り上げています。気を抜けない作業だけど、これが終わればみんなで魚を捌いて食べたりと、楽しみも待っています」
網を入れて、引いて、選別する。
この一連の作業を1日4、5回繰り返し、18時頃、港に戻ります。
しかし、ここでもうひと踏ん張り。
次の日のセリに向け、活かしておいた魚は市場の水槽へ移し、鮮魚も陸に揚げて市場へ運ばなければなりません。
時計の針が20時を指す頃、ようやく1日の仕事を終えます。
拘束時間が長く、ハードな仕事に思えますが……「海に行かない日の方が多いんですよ」と、後藤さん。
実は、操業日数は年間3分の1ほど。
残り3分の2は陸上での作業か、お休みの日です。春先には禁漁期間もあります。
「海が荒れてるのに、命がけで漁に出ることはしません。みんなそれぞれ守るべきものがあって、それを犠牲にすることはできないから。船長として、最低限の責任です」
限られた日数だからこそ、海に出られない日は船の準備を万全にします。
一番大事なのは、網の組み立て作業。網の形状によって、魚の獲れ具合がまったく違ってしまうのだとか。網の仕組みを理解できるようになってはじめて「一人前」と呼べるのだそうです。
漁に行くのは、50代の後藤さんを筆頭に、30代2人、60代1人、そこに20代の若者が新しく加わりました。
さまざまな世代がひとつの船の上で仕事をしています。
「一緒に仕事して、仲間が楽しいと思えることが一番。みんな冗談を言い合いながらやっています」
そんな後藤さんの仕事のモットーは、「当たり前のことを大切に」。
たとえば、使ったものは元の位置に戻すこと。
意欲を持って、覚えたことは間違えずにやること。
はっきりと物事を伝えること。
こうした日々の小さな積み重ねで、信頼関係は築かれていきます。
「最初から見込みがあるかないかは判断しません。大事なのは、真面目に漁業と向き合うこと。3年後、5年後の姿を思い描くこと。俺だって何回も挫折したけど、やり続けてたらいつの間にか漁師として経営してたって感じかな」
漁師の家の次男として生まれながら、漁業にはまったく無関心だったという後藤さん。好き嫌いの問題ではなく、そもそも漁師という職業が選択肢になかったと、当時を振り返ります。
サラリーマンから漁師へ。
覚悟を決めたターニングポイント
高校卒業後、後藤さんは名古屋でサラリーマンとして働いていましたが、社会人4年目のときに家庭の事情でUターン。
父と一緒に船に乗ったものの、2日で嫌になってしまったそうです。
「忙しいサラリーマン生活を送っていた分、漁師の生活リズムが合わなかったというか。仕事があるかは天候次第だし、船の上でも手持ち無沙汰な時間があるし、自分には合わないなって」
一度は漁業を断念し、他の仕事もしましたが、25歳を前に再び漁業を志します。
そして父と働き始めた3年目の冬。
それまで元気に働いていた父に大きな病気が見つかりました。
父の年齢を考慮すると、海の仕事を続けるのは困難なことのように思えました。
もちろん、父と一緒に漁業を辞めるという選択肢もありました。
しかし、周りの後押しが後藤さんを動かします。
「船は俺がやる。引退して体を休めてください」
海の仕事が好きじゃないと言いつつも、頭には仕事のことが全部入っていたという後藤さん。
経験や知識、技術はもちろんですが、漁業をする上では「イメージができるかどうか」が大事なことなのかもしれません。
後藤さんが船長となった光勝丸は、着実に結果を積み重ね、船長になって3、4年後には漁獲量の多い「優秀船」として表彰されるようにまでなりました。
一途な努力が実を結ぶ。
望みある浜を目指して
昨年から宮城県漁協仙南支所の副運営委員長も務め、周りからも一目置かれる後藤さんですが、はじめから順風満帆ではなかったようです。
「地域の漁業を変えたい、良くしたい。そう思っても、漁師になったばかりで知識も経験もない自分の意見は誰も聞いてくれませんでした。でも逆に、そこで火がつきましたね」
求められるのはもちろん、仕事の結果です。
漁業への固定観念がないことを強みに、失敗と挑戦を繰り返す日々。
ときには網をバラバラに壊してしまうこともあったそうです。
「漁師に100点はない」
そんな想いで船に立ち続け、業績を上げてきました。
周りにも認められるようになったところで、当時の運営委員長(組合長)にこんな提案をします。
「震災後に漁業を再開した全船に、感謝状と大漁旗を贈ったらどうでしょう」
震災前、亘理では漁獲量の多い船を「優秀船」として表彰していましたが、震災後は休止している状況でした。この表彰制度を復活させるよりも、地域の漁業者をより勇気付けることをしたいと思ったそうです。
「地域の中で1位2位を争うのは違う。努力に差はないはずなんです」
これからは、個人個人じゃなく、地域一丸となって漁業を盛り上げていきたいと後藤さんは語ります。
爽やかな笑顔に隠された、後藤さんの熱い想い。
それがじわじわと周りに伝わり、地域の漁業者の考え方も変わってきているようです。
漁業を憧れの職業に
2019年12月には、後藤さんの新たな船が完成する予定です。
「船が古くなったっていうのもあるんですけど……息子たちに、かっこいい姿を見せたいと思って。見栄を張ってでも、海と戦う道具にはこだわりたいんです」
3人の息子さんはまだ小学生と中学生。今の段階では今後のことはわかりません。
後藤さん自身、漁師をやってほしいとは口にしないそうです。
「だからこそ、かっこよくありたいんです。やるかやらないかは子供が決めることだけど、漁師という職業が少しでも選択肢のある仕事だと思ってもらえるように」
後々は、今使っている船と2隻で操業できればという思いもあり、そのためにも地域に根ざした若者を育てたいと考えています。
太く短くよりも、細く長く。
チーム『光勝丸』、そしてチーム『亘理』で何年も頑張れる若者を。
「独立も目指せると思いますよ。これから浜の未来を担うのは、今の若い世代。彼らがいつかは自分の船で魚を獲れるような、夢が持てる浜になりたいですね」
後藤さんは立ち止まることなく、前へ前へと進んで行きます。
漁業はもちろんのこと、漁業を通してこの町が変わっていくことにおもしろさを見出しているのかもしれません。
「若い子が来ることで、もっと地域に新しい風を吹かせてほしい。まずは1日でも2日でも、漁業の様子を見に来てください」
*
真っ暗な海の中、迷いなく突き進む一隻の船。
だんだんと夜が明け、光り輝くその先に見えるのは、船に書かれた3つの文字。
「光勝丸」
水面には、今日も波をかぶりながら網を揚げる、果敢な男たちの姿が映し出されています。
(文/尾形希莉子 撮影/高橋由季)
※取材・撮影は、2018年9月、12月に行いました。
募集職種 | 漁師 |
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雇用形態 | 正社員・フルタイム |
給与 | 月収20万円 ※試用期間中は月収17.7万円(海員組合規定による) ※歩合給あり |
福利厚生 | 雇用保険, 健康保険, 労災保険, 厚生年金, 社会保険完備, 通勤手当, 大漁手当 |
仕事内容 | 小型底曳網乗組員 |
勤務地 | 宮城県亘理郡亘理町 |
勤務時間 | 3:00〜20:00 ※水揚げ状況による |
休日休暇 | 金曜(市場休日に基づく)、荒天日、3〜4月禁漁期 |
募集期間 | 2018年11月06日(火)~ |
会社名 | 光勝丸 |
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住所 | 宮城県亘理郡亘理町 |
選考方法 | ※新型コロナウィルス感染拡大防止措置として、現地対応(面談・研修)の受け入れ時期を慎重に判断させていただいております。お電話やビデオ電話などでの企業説明や相談なども行っていますので、まずはお気軽にお問い合わせください。 応募 ▼ フィッシャーマン・ジャパン担当より電話にて連絡 ▼ 写真付履歴書の提出(書類選考) ▼ 電話もしくはビデオ電話にて面談 ▼ 現地面談 現地研修(1週間程度) ▼ 内定 |
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