次の世代へバトンを繋ぐ。事業継承者、募集。

次の世代へバトンを繋ぐ。事業継承者、募集。

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漁師という職業を考えたときに、大きく分けてふたつの働き方があります。
ひとつは、従業員として働くこと。
漁船漁業であっても養殖漁業であっても、ある経営体の一部となって働くことは、比較的難しいことではありません。

もうひとつは、あなた自身が経営者になること。
つまりこれは、漁業権を取得するということです。

日本全国津々浦々、少しずつ新規参入者が漁業権を取得する事例も出てきていますが、牡蠣やホタテなど養殖物を育てる「区画漁業権」を取得することは、容易なことではありません。

船や漁具といった資金の調達はもちろんのこと、その浜の漁場の空き具合と、あなたが漁業者として、そしていち経営者として地域の人に認められるかどうかが鍵となります。

「区画漁業権」の取得の方法も、大きく分けてふたつ。
新規参入者として空きがある漁場の使用を認めてもらうか、もしくは子供が後を継ぐ事業継承という方法です。

後継者のいない漁業者が増えているなか、自分の技術や道具を次の世代へ受け渡したいと思っても、漁業者にとって縁者でもない「よそ者」を育成するのは、雲を掴むようなもの。お給与のことも考えると指導しながら彼らを雇用するというのは難しく、働けるまで働いて、自分たちの代で終わらせようと考えている漁業者も多いのが現実です。

そんななか、後継者育成に名乗りをあげた漁師がいます。
石巻市沢田地区で牡蠣養殖と自分で興した車屋の仕事、両方を営む齋藤伊平さんです。

「どちらかを辞めるという選択肢はなかったですね。海の仕事は辞めるなと、親戚の人たちにも言われてね」

目の前に広がる万石浦(まんごくうら)のように、穏やかな口調で話す伊平さん。
30代半ばでお父様から漁業権を受け継ぎ、今までずっと海の仕事をひとりでこなしてきました。

震災から間も無く10年。伊平さんは今年65歳になります。
漁業者の良いところは定年がないところ。まだまだ元気で働ける年齢です。
それでも少しずつ体の衰えも感じるようになってきました。

「自分がまだ元気で働けるうちに、事業を継承してくれる若者を育てたい」

震災をきっかけに、その想いが少しずつ大きくなったと言います。

もちろん新しくやって来る子には血縁関係はありませんので、親から子へという単純な事業継承とは違って、地域の人たちにも認めてもらうことが大前提です。

地域の人たちに、ひとりの漁業者として、地域の一員として認めてもらえるような、そんな人材を育てていきたいと伊平さんは思いを語ります。

「それを覚悟で来てくれる人。明るい子が来てくれたらいいわね。元気で人見知りしない子。人懐っこいっていうのは、外から来る子に関しては大事なことだと思うの。ここでやっていくっていうのならなおさら」

まるでお嫁さんの条件を話すように楽しそうにお話をするのは、奥様の洋子さん。

この地に嫁いで40年。伊平さんを支え続け、喜びも悲しみもふたりで乗り越えてきました。

初対面にも関わらず、なんだかずっと昔から知っているような、そんな温かさがあるふたり。お話をしたときに、「10」のうち「3」を伊平さんが話したとしたら、残りの「7」は洋子さんがお話してくれます。

決して伊平さんが話し下手ということではありません。
伊平さんの「3」のお話の中には、必ずずっしりと心に響く言葉があります。
ふたりの絶妙な会話のバランスと掛け合いは、まるで息の合った餅つきでも見ているよう。

「伊平さんは漁師として何代目になるんですか?」と聞くと、洋子さんが手を差し出しながらにっこり微笑んで言いました。

「まぁまぁ、おかけになって。『鰻屋のおばちゃん』がお話しますね」


「鰻屋」の燈(あかり)を灯し続けて

石巻市と女川町にまたがる内海の万石浦は、北上川から運ばれるプランクトンなどの栄養分が豊富。
潮の干満差を利用した種牡蠣の養殖なども盛んに行われています。

特別な観光地というわけではありませんが、国道398号線から、あるいは道路と並走するJR石巻線の車窓から見えるコバルトブルーの穏やかな海は、震災によってあたりの風景が変わってしまっても、変わらない美しさを漂わせています。

「おじいさんの時代ね。このあたりは昔、天然の鰻が獲れたの。近所の漁師さんが獲った鰻をうちに持って来て、うちがその鰻を市場や料亭に発送して。今でいう問屋みたいなことをうちのおじいさんがしていたの。だから今でもうちの屋号は『鰻屋』。本当の屋号は『かねもと』なんだけど、この界隈では今でも『鰻屋』って呼ばれるわね。鰻塚もあるから、私たちの代でも一度供養をしたの。やっぱりね、殺生をしていたわけだから」

屋号とは、集落内における家の特徴を含んだ呼び名のこと。
石巻、特に浜のほうでは同じ苗字の家が多いこともあり、こういった屋号や船名でお互いを呼び合うことが多いのです。

養殖筏を浮かべるための大きな樽にも「鰻屋」の文字。

繰り返しになりますが、伊平さんは牡蠣漁師。
残念ながらこの万石浦では、もう天然の鰻は獲れません。しかしながら、地域の屋号のなかに、「鰻屋」としての歴史が語り継がれているのです。

「もっと昔は、簀立(すだて)漁もやってたの。海に大きな仕掛けを作るのね。竹を編んだやつをさしていくんだけど。魚って習性で端っこに入っていく。それで満潮時に入って逃げられなくなった魚を引き潮のときに捕まえるっていう。お客さんを船に乗せて、そこに無人島があるんだけど、上陸して獲った魚を食べさせるっていうのをやってたの。今みたいにインターネットとかテレビとかない時代に、結構お客さんが来ていたのよね。電話帳に鰻屋(簀立)って書いてあったから、それ見てみんな来てたのかしら。遊覧して、イキの良いお魚を獲って食べるっていう……ブルーツーリズムの先駆け。私がお嫁に来たときには、もうその残骸しかなくて、いきなりその竹を片付けるところからやったのよ。私、何しにここに嫁いだんだろうって思ったわ(笑)」

それにしても奥様、どうしてこんなに齋藤家のお話に詳しいのでしょう。
まるで幼少期からずっとここに住んでいるかのよう。

「お義父さんがお話好きの人だったから、とにかくいろんな話をしてくれたの。今では私が語り部ね。ここに来る人に、いろんな話をしてあげると喜ぶのよ」

伊平さんと洋子さんは、震災でお世話になった恩返しになればと、民泊などを積極的に受け入れています。

ご自宅の玄関には、「鰻屋」の燈(あかり)。
もちろんお店ではありません。

お酒が好きな伊平さんと洋子さんは、夜な夜なご近所さんや民泊で訪れた人と囲炉裏を囲み、おもてなしをするのが楽しみなんだそうです。ボランティアさんとの交流も何年も続き、「ただいまー」と帰って来る人もいるそう。

ここ「鰻屋」は、今は人々が集う場所として。
いつでもみんなが帰ってこれるように、燈を灯し続けているのです。

漁師と車屋。二足の草鞋で走り続けて

鰻屋をやっていたのは、伊平さんが8歳くらいまでのお話。

そのあと、お父様の代で海苔養殖を手がけ、海苔が機械化するとともに牡蠣養殖に切り替えたそうです。
伊平さんも中学生のときは海苔、高校生のときには牡蠣と、朝仕事を手伝い続けていました。

伊平さんは高校を出てすぐ、大手機械輸送メーカーで働きはじめます。

牡蠣養殖は繁忙期と閑散期の差が激しく、少しでも手に職をと思い、働きはじめたそう。船を扱う事業部を希望していたものの、実際に配属になったのは車の事業部。そこで車屋の技術を身につけ、奥様の洋子さんにも出会いました。

「仕事の合間に漁業の手伝いをして。それはそれは嫌だった(笑)。日曜、祭日がなかったからね。年中働かなくちゃいけなくて。車屋のほうも結構長く働いて、親父もまだまだ元気で海の仕事やってたから、俺は車屋のほうをやろうかと。35歳くらいのときかな。自分の車屋を持つことにしたんです」

23歳で伊平さんと結婚した洋子さんも、ボウルいっぱいに牡蠣を剥いてからいつも出勤していたのだとか。

「私、牡蠣剥きが大嫌いで。今も嫌いなんだけど(笑)。だから車屋で独立するって相談されたときに、やるやる!って。これで牡蠣剥きしなくて済むぞ、って思ったんですけどね。ところがどっこい、地鎮祭の前日にお義父さんが倒れちゃって……。そっからがもう大変だった。二足の草鞋。車屋も借金して着手した手前、やるしかなかった。だってどうなるかわかならないじゃない。とにかくどっちもやっていかなきゃ、って。冬場は牡蠣剥きを16時くらいまでやって、そこから今度は車屋の仕事がはじまるの。日中はもちろん牡蠣剥きがあるから『でかけてます』って貼り紙をしてね。夕方に整備とかやって、夜10時くらいまで働いてた。伊平さんが車屋の仕事あるときは、私が20キロある樽を運んだりしてね。もう大変。若かったから……今は絶対無理。お義父さんが倒れた翌年に今度はおばあさんが寝たきりになって、ふたりを介護しながら……5、6年かな。そういう生活が続いて。もう、なんていう人生なんだろう!って。そのときは自叙伝でも書きたかったくらいよ(笑)」

車屋が軌道に乗るまでは、漁業の収入でだいぶ助けられたそう。

「漁業がいい年もあれば、車屋がいい年もある。持ちつ持たれつ。大変だけど、そうしてやって来たんです」

当時のことを思い出しながら話すふたり。
大変なお話のはずなのに、思い出しては顔を見合わせて大笑い。

泣きたくても泣けなかった夜も、くたくたの毎日も、たくさん喧嘩したことも。
いつかこうして笑い飛ばせる日を迎えられる。そう信じてふたりは歩んできました。


目指すは農林水産大臣賞!
新しいことにも挑戦を

通常は出荷に2年ほどかかる牡蠣ですが、ここ万石浦では1年子の牡蠣として出荷。
小粒ながらもプリッとした食感と凝縮された味わいが楽しめます。


伊平さんの車屋「さいとうオートサービス」の反対側には、牡蠣の直売所があります。こちら、伊平さんの手作りの直売所。

実は伊平さん、平成25年より6次産業化の事業も手がけています。
この6次化事業は、洋子さんのかねてよりの希望で実現しました。

当初は伊平さん、6次化に対して大反対したそうです。

「車屋の仕事もあってただでさえも忙しいのに、牡蠣剥きもあるし……」

これに対し、洋子さんが大奮闘。


「ずっとやってみたいという気持ちはあったんですけど、お金もかかるし踏ん切れずにいて。でも、やっぱりあの震災を経験して、やりたいことはやったほうがいいな、やってみたい!って思ったんです」

石巻市の6次産業化の補助を申請し、プランナーさんとの二人三脚のもと、自分たちの牡蠣を「伊平さんのごちそう牡蠣」という名前で商品化。あれよあれよと話は進み、伊平さんも認めざるを得なかったそう。

今では、シーズン中の殻牡蠣やむき身の販売はもちろんのこと、燻製やオイル漬け、ごはんのおともシリーズなど多種多様な商品を展開し、東京で行われる催事にも年に1度は足を運んで、消費者と直接お話をするのを楽しみにしているそうです。

「牡蠣って値段の変動が激しいのね。今は割といいんだけど。昔は捨てたほうがいいんじゃない?っていう値段のときもあった。年があけると牡蠣は本来おいしくなるんだけど、逆に値段が下がる。それに納得がいかなかった。おいしい牡蠣を手をくわえることで、1年通して食べてもらうことはできないかな、って。今回の事業継承の話にも繋がるんですけど、個人的に1次産業が廃れていくっていうのが嫌なんです。もっともっと魅力のある商売にしていきたい。私たちがこうして挑戦することで、マネをしたり、興味をもったりしてくれる人が増えたらいいなって」

事業継承を考えていると言っても、決して守りの姿勢にならず、やりたいことを形にする伊平さんと洋子さん。

はじめは嫌で嫌で仕方なかった漁業ですが、たくさん助けてもらったからこそ、新しい魅力を見つけていきたいと思いを語ります。
挑戦し続けるその後ろ姿は、きっとこれから漁業を担う若者の希望の光となるはずです。

 

そして歴史は続いていく

事業継承と一口にいっても、漁師の仕事はすぐひとりでできるわけではありません。
まずは伊平さんからたくさんのことを学び、5年、10年と一緒に事業計画を立てていきましょう。

夏場の閑散期には、車屋の仕事を手伝うもよし、地域の漁業アルバイトをするでもよし。あなたの働き方を全面的にサポートします。

そしてゆくゆくは、地域の一員として認められること。
技術や漁具は伊平さんから受け継いだとしても、漁業権を取得できるかどうかは、本人の頑張り次第。
もちろん、本人のやる気さえあれば、伊平さんも全力で応援します。

「頭からできないって言わない。なんでもやってみる、やってみようってそう思える人がいいかな」

ものづくりが好きな伊平さん。
車屋の技術を駆使して、船もあれこれ改造しています。

操縦席は風があたらないように。
手がかじかまなように、バイクに取り付けるグリップヒーターをつけてみよう。
おやつを入れるガラス棚もつけてみよう。
エンジンで缶コーヒーを温められたらいいな……

「ひとりで海の仕事するからね、仕事が楽しくなるような工夫をしているんです」

いたずらっぽく話してくれる伊平さん。

きっと伊平さんの後継者となる人も、一緒になって「あれをしよう」「これをしてみよう」と楽しんでくれる若者が合うのかもしれません。

ある日、漁協の若手職員がこんな話をしてくれました。

「伊平さんは、地域の運営委員。自分のことだけじゃなくて、常に全体のことを考えてくれている。ありがたいですよね。そういう人がいないと、今後漁業全体が厳しくなる。そんな伊平さんの後ろ姿を見た若い人が育ってくれたら、きっと伊平さんみたいな漁業者になってくれるはず。こうやって、漁業が守られていくことは、素晴らしいことですよね」

ひとつの家族の歴史と、いつもその真ん中にあった「漁師」という仕事。
これから受け継いでいくあなたが、新しい物語の主人公です。

(文・撮影=高橋由季 写真提供=Funny!!平井慶祐)
※取材は2020年2月に行いました。

 

 

 

 

募集情報
募集職種 漁師
給与 月収20万円
試用期間3ヶ月は17万円
福利厚生 寮あり(TRITON WATANOHA), 車の修理、購入など社割価格, 資格取得支援あり(船舶免許・フォークリフトなど), おやつ、海産物手当, 乗組員厚生共済, 労災保険, 洗車機使用可
仕事内容 牡蠣養殖
勤務地 宮城県石巻市沢田
その他 ◎勤務時間

(繁忙期) 9〜4月 6:00〜15:00 ※実働6時間程度

(閑散期) 5〜8月 働き方を選べます

     <A>地域の漁業アルバイトを紹介 

       例:種ガキ養殖 7:00〜16:00 ※実働7時間程度

     <B>陸作業もしくは車屋の仕事の手伝い

      9:00〜18:00 ※実働8時間程度

◎休日

(繁忙期) 9〜4月 日曜、年末年始(12/30〜1/3)

(閑散期) 5〜8月 月5日前後(作業に応じて休みあり) 

   <A>地域の漁業アルバイトの場合

       漁業のため、作業に応じて休み(基本は悪天候時)

     <B>陸作業もしくは車屋の仕事の手伝いの場合

       日曜・祝日、お盆(8/13〜16)休み
会社情報
会社名 かねもと
住所 石巻市沢田
通販サイト https://kane-moto.com
Facebookページ https://www.facebook.com/pg/Gotisougaki/posts/

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