「やるときは人の3倍やる」ホヤ養殖から海上タクシーまでこなす熱血親子漁師。

「やるときは人の3倍やる」ホヤ養殖から海上タクシーまでこなす熱血親子漁師。

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 「夜の11時に出港だから」

船作業の取材をお願いした時のホヤ漁師さんの返事。朝ではなく、夜。ホヤの水揚げシーズンは、いつもこの時間から仕事が始まるとのこと。

そんな働き者の漁師がいるのは、宮城県石巻市寄磯浜。栄養豊富なプランクトンが育つこの海では、昔から小型漁船漁業やホヤの養殖が盛んに行われてきました。浜には小学校が1つあり、全校生徒は7名。父兄のほとんどは漁師さんです。小さな集落なので、みんなが顔見知り。すれ違うたびに車を停め、漁の話に花を咲かせるそう。「ここにいるやつ、みんな仲間だ」。そんな言葉が漁師さんから自然と出てきます。年齢も性別も関係なし。この浜では、全員が漁業にとって欠かせない存在となっています。

取材当日、浜に着いたのは夜の10時半過ぎ。あたりは真っ暗です。車を降りて、海辺の方に目をやると、明かりが着いた船が何隻か停まっています。どの船もこの時間に出港なのかと驚いていると、漁師の渡邉喜廣(よしひろ)さんがやってきました。

「ほら、船に乗れ」

ホヤの水揚げに出発です。

 

真夜中に2回海に出る!?

喜廣さんは、普段、息子の淳(あつし)さんと2人で船を回しています。ホヤの水揚げシーズンである5〜8月は繁忙期のため、アルバイトとして別の漁師さんも船に乗り込みます。

筏のロープを機械で巻きあげていくと、海からあがってくるのは真っ赤な大きなホヤたち。ホヤは3〜4年という時間をかけ、ゆっくりと大きくなっていく海の幸です。

船にあげたホヤは、機械と手作業で1つずつ分別されていきます。船がホヤでいっぱいになると、一度帰港。獲れたホヤを加工場に運び、喜廣さん達は再び船に乗り込みます。

「眠くねえか。もう1回海に出るからな。次はさっきより少ないから大丈夫だ(笑)」

この時点で、1時半。2回目の水揚げは、その日剥くホヤの量に達するまで続きます。しばらくすると、「お疲れさん。海の部は終わり。次は陸の部だ」との声が。港に帰ってきたのは3時過ぎ。ここから陸でのホヤの殻剥きが始まります。

ホヤの殻剥きには、船員の他に、女性の方が8名ほどお手伝いに来ています。親戚だけでなく、遠方から来ている方も。1個剥き終わるのにかかる時間は約6秒。あっという間にホヤを貯めるタルがいっぱいになります。

見事な手さばきに見とれていると、

「ほら、手伝え。お前も剥いてみろ。ここをこうやってな……。最初はできなくて当たり前なんだ。間違えないように丁寧にやってみろ。しばらくは、ホヤの身に傷が入って、自分が食べる用になると思うけどな。帰る時、食べた分だけ精算して帰るんだぞ」

冗談を言いながらも、檄を飛ばす喜廣さん。普段から職場内は笑いに溢れ、会話が途切れることはないそう。人が多いこともあり、とても賑やかです。

休憩をはさみながら、9時過ぎにはホヤを全て剥き終わります。さらに剥き身だけでなく、蒸しホヤも作っている関係で、もう少し時間がかかる時もあるそう。その後、トラックで出荷されます。

「水揚げの時期が一番大変。寝る時間も狂ってしまうから。でも、出荷先の市場のセリに間にあわせるためには、この時間に海に出るしかない。周りも頑張っているから負けられないんだよな」

 

自然に順応するのが漁師の勤め

喜廣さんの会社であるマルワ興産は、ホヤをメインとしていますが、仕事はそれだけではありません。

「うちは1年を通じていろんな仕事をしていて、養殖はホヤとホタテ、そのほかに漁船漁業もやってる。1月から2月にかけてはタラ、サヨリ漁。3月からはタコカゴ、4月からはホヤの作業が始まって、5月から8月はホヤとホタテの水揚げ。9月にホヤは終わるけど、ホタテの水揚げは続くのさ。この時期からカニカゴや刺し網での秋鮭漁も始まって、11月になると、ホヤの種付け作業だね。冬にはアワビの開口もある」

今年新しい船を1隻造り、これまでより漁の規模を拡大したという喜廣さん。すでに大規模に漁業をやられているように見えますが、さらに大きくするには何か理由があるのでしょうか。

「多種類の漁法を行うことで、自然に対応していくことができる。今までの漁師は一本の漁業に専念していてもよかったと思うけど、これからはダメなんだ。自然相手の仕事だから何が起こるかわからない。そういう時に他の漁業でカバーしていかないと」

東日本大震災からの復興の最中、ホヤの韓国への輸出が止まり、主要販売先を失ったホヤ漁師は窮地に陥りました。また、秋鮭も近年不漁が続いています。そんな苦境に立たされながらも、前を向いていける秘訣は「自然に対応する力」だといいます。

「新しく船を造ったのも自然や環境の変化に対応するため。これまでの船は小さく、近海で漁をすることができなかった。新しい船には魚探レーダーなど最新の設備がついていて、船も大きいから多少の時化でも漁に出ることができる。漁の幅は間違いなく広がったね」

喜廣さんは、女川の観光フェリーで働いていた経験を活かし、金華山への訪問客を船で運ぶ海上タクシーもやっています。

「何かやりたいなら自分でやってみればいい。そういうやつは大歓迎だ」

船を新造し、分担できる作業も増えたことから、新しい仲間を迎え入れ、どんどん仕事を任せていきたいと言います。

「やらなきゃいけないことは教える。うちの会社は、たくさんの人に協力してもらって成り立つ漁業だから、人をまとめられるような人間に育ってもらいたいな」

自然の力にひるまず、様々な角度から挑戦していく。その眼差しは熱く、未来を見据えています。

親父に頼らないで、船を回せるようになりたい

熱血で親分肌なのが喜廣さんだとすれば、息子の淳さんは、クールでテキパキと仕事をこなすタイプ。海でも陸でも、周りに指示しつつ、決して自分の仕事がおろそかになることはありません。

淳さんは高校卒業後、2年間他の加工場で経験を積み、本格的に家業である漁師の仕事を手伝い始めました

「ずっと『お前が後継になるんだぞ』と言われてきました。小さい頃から家の仕事を手伝い、海で働く環境を当たり前のように感じているところがあって・・。すぐに家の仕事をするんじゃなくて、他人の下で働き、勉強してから継ぎたいと思っていました」

本格的に漁師の仕事をするようになり、今年で12年目。新しい船を造った今年は、淳さんにとって節目の年でもあります。

「これまでは船といっても親父の船しかなかったんです。今年造った船は、初めての自分の船。名義は親父ですが、この先自分がずっと使っていく船を造ったという事実が自分の中で大きな意味を持っています。自分の船を持つということは相応の責任を負うことです。これまで以上に一生懸命やらなくては、と思っています」

そんな淳さんにとって、新たな若者を受け入れるということは、漁師としての自分の成長にも繋がると考えています

「今は親父がいるのが当たり前になっているけど、いつまでも甘えてはいられない。親父に頼らなくても船を回せるようになりたい。そのために一緒に高め合える若い人に来てほしいんです」

漁師は決して楽な仕事ではありません。でも仕事の時間が決まっているわけではないから、早く仕事が終われば休めるし、一生懸命やれば早く終わることもある。頑張った分だけ報われることが漁師の醍醐味なのだと、淳さんは話してくれました。

 

水揚げから加工まで、全ての仕事が終わった喜廣さんが、ポツリと一言。

「うち、うるさいべ」

すかさず奥さんが「賑やかなのがうちの魅力じゃない!」と言います。喜廣さんの職場では、静まり返ることはありません。誰かがしゃべり、笑い、賑やかさに包まれています。海でもそれは一緒。作業中も喜廣さんから、絶えず労いの言葉がかけられます。

「がんばれよ。終わったらご飯、うんと食わしてけっから」「疲れてねえか」と。

熱血ながらも、人への気遣いは忘れない優しい親子漁師。変わりゆく自然界に嘆くことなく、新船に乗って、どんどん新しいことに挑戦してみませんか。

「水産業の未来をつくろう。一緒に。」

 

(文=香川幹、写真=高橋由季、木村綾子)
※取材、撮影は、2020年8月に行いました

募集情報
募集職種 漁師
雇用形態 正社員・フルタイム
給与 月収18万~20万円
福利厚生 乗組員厚生共済, 資格取得支援あり(船舶免許・フォークリフトなど)
仕事内容 カゴ漁, 刺し網漁, ホタテ養殖, ホヤ養殖
勤務地 宮城県石巻市寄磯浜
勤務時間 3〜12時(実働8時間程度)※時期により変動あり
休日休暇 日曜休、お盆休み(3日)、年末年始(5日) 
その他 普通自動車免許必須、30歳以下 ※若手育成のため

フィッシャーマン・ジャパンが運営するシェアハウスあり(TRITON OSHIKA)

TRITON OSHIKAより車で、寄磯浜に20分、石巻漁港に30分です。
会社情報
会社名 株式会社 マルワ興産
住所 石巻市寄磯浜

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