「牡蠣漁師として、東名の牡蠣を広く知ってもらうことで、この街を引っ張っていきたいんです」
仕事のお話を聞いていると出てきた言葉。浜ではなく、街。この言葉に、二宮義秋さんが目指す漁師としての姿勢が表れています。
義秋さんは宮城県東松島市鳴瀬地区の東名(とうな)で牡蠣の養殖を営む漁師。2019年に法人化し、今年からは6次産業化(以下、6次化)に挑戦しようとしています。
今回募集するのは、漁師としての仕事をしながら、6次化をはじめとした新しい事業に協力してくれる実直な人。
「未経験でも構いません。新しいことばかりですから。漁師の仕事はちゃんと教えるし、営業などの仕事にも一緒に行ってほしいです」
そう義秋さんは話してくれました。
鳴瀬で挑戦する6次化の道
宮城県東松島市鳴瀬。仙台からは車で約40分ほど。高速道路が通っているので、体感時間ではもっと短いです。高速を下りると、川沿いに下道が続きます。鳴瀬には、鳴瀬川と吉田川の2本の川が流れており、自然も豊か。
そんな海と森、道路までもが調和しているような街並の中に義秋さんのお家はありました。
「うちの隣も、その隣も、斜め後ろも牡蠣漁師が住んでいますよ」
鳴瀬地区には牡蠣の養殖を営む家が20軒ほどあります。2本の川が流れ込む関係で、植物プランクトンが豊富で、牡蠣にとっては良い生育環境となっています。他にも海苔の養殖や定置網が盛んに行われ、漁業が街の産業の中心です。
「鳴瀬の牡蠣は、身が引き締まっていてプリプリしているんです。川水の栄養をたっぷりと吸い込むので、1年で出荷できるサイズにまで成長します」
お話を聞いたのは、9月下旬。
そろそろ水揚げが始まるという繁忙期の直前でした。繁忙期に入ると、朝の5時に出港。牡蠣の水揚げを行います。水揚げが終わると、急いで陸に戻り、牡蠣剥きへ。牡蠣剥きは共同処理場で行っています。共同処理場は、震災後に建てられた、浜の漁師が共同で使う施設。そのため、剥く時間も13時半までと決まっており、その後共販として入札にかけられます。
しかし、義秋さんは、この出荷方法を変えていこうとしています。
「今、全部の牡蠣を剥かずに、別の加工をして販売する6次化を考えています。販売先も自分で探さないといけないけれど、自分のブランドを押し出すことができます」
「自分の牡蠣を自社のブランドで売ってみたい」という思いが6次化につながりました。そして、6次化を進めるにあたり、共同処理場での限られた時間だけでは牡蠣を十分に用意できないと考えた義秋さん。個人の処理場を建設することに決めたのです。
「新しい処理場を建てれば、時間に縛られることなく牡蠣を剥いたり、加工したりすることができます。また、冷凍庫を設置し、冷凍などの技術を駆使することで、これまでより長期間出荷したいと思っています」
実は、震災までは個人の処理場を持っていたという義秋さん。
「震災で個人処理場が流されてしまって。だからずっと再建したいと思っていたんです」
義秋さんにとって、単なる建設ではなく、念願の再建。
新しい処理場の完成は来年の3月の予定です。今、海に出ているのは義秋さんとアルバイトの方の2名。牡蠣剥きをしているのは、義秋さん、妻、母、地元の人2名。3月までには新しく人に来てもらって、6次化に向けて良いスタートが切れたら、と話してくれました。
「浜義丸水産株式会社」誕生
6次化のために、義秋さんが挑戦したのは、個人処理場の建設だけではありません。2019年に、「浜義丸水産株式会社」として法人化を成し遂げました。
「6次化をすると、取引していく会社が増えていきます。その中で個人の漁師としてではなく、会社同士の取引にしたいと思いました。自分の問題というよりも、取引をする相手側にいかに信用してもらうかが大事ではないかと考えました」
法人化して約1年。税理士などの専門家にもアドバイスも求め、少しずつ会社の経営に慣れていきました。
「普通に漁師するのであれば、考えなくて良かったことを考えなくてはいけません。だから、専門家の人やいろんな人と話して、少しずつ勉強しています。でも、やっぱり根っこの部分は経営よりも漁師なんですよね(笑)」
漁師が法人化する理由。それは決して取引上の問題だけではありません。「法人化すると、社会保険に加入できる」と義秋さんはつぶやきました。万が一、自分の身に何かあった時。保険が家族、従業員を守ってくれる。
何か新しい挑戦をするのに、勢いだけではいけません。守るべきものは守る。そんな義秋さんの温かい面も垣間見ることができました。
父から受け継いだ「挑戦魂」
法人化と新しい処理場の建設。経済的にも精神的にもなかなかできるものではありません。現状に決して満足せず、挑戦し続けるという態度は、小さい頃から、父である義政さんの仕事を手伝っているうちに自然と身についたものだと言います。
「うちは昔、海苔屋でした。親父とお袋の2人で海に出ていたと思います。それに、メカブの加工、漁船漁業もやっていましたね」
義政さんがどんどん新しいことに挑戦するタイプだったので、自然と仕事を手伝うことも多かったと言います。そして義秋さんが18歳の時、義政さんは大きな決断をしました。海苔養殖から牡蠣養殖へと転向したのです。理由は、長い間、海苔の生育状況が悪かったから。
「上手くいかないとなれば、試行錯誤してみる。このままじゃだめだと思えば新しいことに挑戦する。この姿勢は親父から学んだと思います」
子供の頃からいつか自分が家業を継ぐのだとわかっていましたが、義秋さんは、水産高校ではなく、商業高校に通いました。「海のことは俺が教える。だからお前は商売を勉強しろ」という義政さんの言葉に後押しされて進学を決めたそう。
新しく挑戦するためには、専門分野だけでなく、違う知識が必要だということを義政さんはわかっていたのかもしれません。義政さんの挑戦魂は確実に義秋さんの中に息づいています。
鳴瀬を引っ張っていきたい
「この鳴瀬を引っ張っていくような人になりたいんです」
義秋さんに、将来像を尋ねると、そう答えてくれました。
「震災で途絶えていた牡蠣祭りを地元企業の方と一緒に復活させました。それがきっかけで、浜だけではなく、地域企業の人と一緒に、この鳴瀬を変えていけるのではないかと思いました。鳴瀬といえば、やはり牡蠣です。これを商材として人を鳴瀬に呼び込めないかと思い、地域企業の人と今いろいろ企画しているところなんです」
鳴瀬における漁業の立ち位置を考え、自分が鳴瀬のためにできることを問う。そんな思いを持った漁師はなかなかいません
そして、そんな漁師だからこそ、地域企業の人と共鳴できるのでしょう。「今、人とのつながりがどんどん広がっています」と義秋さん。
その中の一人に料理人がいます。
「仲良くなった料理人が、私の船に乗ることになりました。すると、『ああ、この海水は美味しいね。この水で育つ牡蠣がまずいはずがない』と言って感動して泣いているんです。自分の海で、牡蠣で、こんなに感動してくれる人がいることを初めて知りました」
そんな素敵な仲間が義秋さんの周りには集まり始めています。最近では鳴瀬地域の飲食店や食品関係者のほとんどが入っている商工会にも所属しました。
「海に出るだけでは人とのつながりはできません」
そう言いながら、取材中、何度もスマートフォンを開いては、写真を見せてくれました。この人はこんな人で、一緒にイベントをやったんだ、この人はね……と。新しい挑戦をするにあたって、このつながりは義秋さんにとって強みになることは間違いありません。
義秋さんは決して1人で挑戦するわけではありません。家族、地域の人。そして、これを読んでいるあなたも、一緒に挑戦する仲間かもしれません。
挑戦者、求む。
(文=香川幹、写真=Funny!!平井慶祐)
※取材は2020年9月、撮影は2020年10月に行いました。
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給与 | 20万円 試用期間は18万円(試用期間は1年間) |
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勤務地 | 宮城県東松島市東名漁港 |
勤務時間 | 10月〜3月:5:00〜15:00、4月〜9月:7:00〜15:00(どちらも休憩1時間) |
休日休暇 | 日曜、年末年始(1週間)、お盆(5日)、荒天日 |
募集期間 | 2020年10月22日(木)~2022年01月23日(日) |
その他 | 市内に寮をご準備いたします。 【仕事内容】 10月〜3月:牡蠣水揚げ、牡蠣剥き、出荷 4月〜9月:種はさみ、手入れなど ※来年からめかぶ加工 |
会社名 | 浜義丸水産株式会社 |
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住所 | 東松島市鳴瀬 |
選考方法 | ※新型コロナウィルス感染拡大防止措置として、現地対応(面談・研修)の受け入れ時期を慎重に判断させていただいております。お電話やビデオ電話などでの企業説明や相談なども行っていますので、まずはお気軽にお問い合わせください。 応募 ▼ フィッシャーマン・ジャパン担当より電話にて連絡 ▼ 写真付履歴書の提出(書類選考) ▼ 電話もしくはビデオ電話にて面談 ▼ 現地面談 現地研修(1週間程度) ▼ 内定 |
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