家々のあかりが灯る坂道をひと上がり。誰かに呼ばれたような気がしてふと振り返ると、さっきまで作業していた海に沈む真っ赤な夕焼けが自分の背中を照らしている。
「やっぱり好きだな」。そう思える場所でとことん汗を流し、一日を終えられることはどんなに幸せなことでしょう。
宮城県石巻市牡鹿半島にある狐崎浜。半島の南側に位置し、複雑に入り組んだ海岸線が続く地形のおかげで、太平洋に面していながら夕陽を望むことができる「特別」な場所です。古くから牡蛎の養殖が盛んで、一般的に穏やかな海で育つとされる牡蛎を荒い外海の波の中で育てているため、狐崎浜の牡蛎は肉厚で身の引き締まっていると定評があります。
今回お話を伺ったのは、狐崎浜で牡蠣養殖を営む阿部政志さんです。阿部さんはこの浜でご両親、奥さんと息子さんとの5人暮らし。本格的に養殖に携わってから30年以上、この浜の牡蛎漁を守り支え続けています。
当たり前を疑わなかった若い頃の自分
阿部さんのお父さんも牡蠣漁師。小さい頃から父親の働く姿を見て育ちました。植物が好きだったという阿部さんは、高校卒業後は浜へは戻らず、一度まちなかの植木屋に就職します。それでも2年少し経った頃、植木屋を辞めて浜に戻り、父親の手伝いを始めます。
「親父に戻ってこいと言われたわけではないんだけどね。やっぱりこの浜とか、牡蛎が好きだったんだね。」
牡蛎漁の仕事は、教えられたわけではなく、見よう見まねで身に付けました。小さい頃から見てきた作業ということもあり、感覚が覚えていたのかもしれません。独り立ちできるようになったのは30歳になってから。浜に戻ってから約10年が経っていました。父と子2人で行っていた作業を「ひとりでいけと突き放された」そうです。作業量は2倍。決して楽ではなかったけれど、仕事を覚えられ、自信も芽生えました。
当時のことを振り返って阿部さんは少し悔しそうに言いました。
「何も考えずに、毎日ただひたすら納期に間に合うように牡蛎を剥いて出荷することが当たり前だと思っていたんだよね。自分で変えようとか考えることをしなかった。今思うともったいないよね」
牡蛎の抜き身が出荷できるのは10月から翌年の3月までと決められています。多くの人が「旬」と呼ぶこの6ヶ月の間に、より多くの剥き牡蛎を卸すことが最優先とされ、夜明けとともに水揚げされた牡蛎を陸に揚げ、浜の人総出で牡蠣剥きに追われるという光景が何十年も続いてきました。
若かりし阿部さんもその「常識」を疑うことなく、日々黙々と海と向き合っていました。
転機が訪れたのは、あの震災でした。
「牡蛎が待っている」思い込みを変えるという挑戦
船や牡蛎処理場、漁具や倉庫、すべての資材が津波にさらわれ、元々約30世帯あった浜の人口も約半数に激減しました。阿部さんは瓦礫の中から牡蛎を吊るすロープを見つけ出し、わずかな望みを賭けて生き残った種牡蛎を海に託しました。すると半年後、通常成長するまでに2年はかかる牡蛎が出荷できる程に大きく育っていました。
「牡蛎が海で待っているのに、販路が機能していないんだよ。売りたいけれど、売れない。時化が来ると揺さぶられて海底に落ちていくんだ。せっかく大きくなってくれたのにその8割が落ちた時もある。悔しくてね。」
行き場のない自分の牡蛎を売りたい、売らなくてはと奮起した阿部さんは、自ら販路を探し始めるとともに、「旬」「剥き身」という「常識」に挑みます。
牡蛎は夏になると産卵を控え身が痩せるため、商品価値が自ずと落ちてしまいます。牡蛎の旬は冬。そう言われる所以です。
「6月に入ったら売れないというのは思い込みなんだよね。冬の牡蛎も旨いけど、年中旨いことを皆知らないだけなんだよ。そのためにもちろん考える。どうやったら産卵を遅らせられるか、どうやったら年中出荷できるか。なんでもやってみたらできるってことだね。」
生食用となる剥き身の出荷は半年間が勝負ですが、試行錯誤の結果、加熱用の殻付牡蛎は品質を落とさず1年中出荷できるようになりました。
出荷先は自分の足で見つけました。直接水産加工会社や飲食店に飛び込み、受け入れ先を探しました。「けちょんけちょん」に断わられ続けながらも、徐々に理解ある取引先が見つかり、需要は高まっていきました。
「とにかく動く。待っていてもチャンスは来ない。ニーズも販路もなければ作る。そういう気持ちがある若者と出会いたいかな。」
この変わり始めた需要に対応するため、1年を通して牡蛎を増産し出荷量を増やして行きたいと、阿部さんは目標を掲げています。しかし、人手が足りず、いいお話がきても応えることが出来ません。
七転び八起き。諦めない精神をつなぐ
牡蛎養殖の仕事は、一般的には6月で一旦「水揚げ・出荷作業」が一段落し、来期に向けた仕込みにシフトします。その後はホタテ貝の殻を連ねたものを海中に垂らし、牡蛎の卵を付着させる「種付作業」、それを一度引き揚げ間引きを行う「抑制作業」が夏から秋にかけて行われます。
しかし、年中出荷を目指す阿部さんのもとではそれが同時進行で行われるため「オフシーズン」というものがないと言います。今年は7月で終わるはずの「種付作業」が9月まで押し、その忙しさは浜の外に出掛けられなかった程です。
「いやになることはないんですか?」
ふと聞いてしまった質問に、阿部さんは即座に首を振りました。そしてまた「やっぱり好きだから。たまに休みは欲しいけどね。」と。
阿部さんのもとでは男女ひとりずつ、若い力を募集しています。水揚げなど力作業は男性に、奥さんと一緒に行う陸上の細かい作業は女性に教えていきたいそうです。季節によりますが、作業は基本的に7時から16時まで。時々趣味の釣りで釣った魚介がまかないとして食卓に並びます。
「最初から出来る人なんていないから、一緒に作業しながら、少しずつ覚えてくれればいいよ。分からなくても、どんどん動いてくれる元気があればいいし、素直じゃなくていいし、失敗してもいいからさ、なんでもここで試して欲しい。」
震災後、ひたすら動くことで活路を見いだしてきた阿部さんだからこそ、その負けない開拓精神でこの浜を守りたいと未来を見据えているのかもしれません。
ここには会いたいと思える人がいる
阿部さんのお宅や作業場にはいつも若者の姿があります。泊まり込みで牡蠣剥き体験をしにくる学生や、それをきっかけに交流が続いている県内外の若者が「政志さん!」「お父さん!」と慕い集まってくるのです。その度に阿部さんは、彼らを船に乗せたり、釣った魚のさばき方を伝授したりすることで、浜の暮らしや牡蛎漁の魅力を伝えています。
また、阿部さんは目まぐるしい作業の合間を縫って、市外のみならず東京や沖縄に赴き、自らの体験や思いを次の世代に伝えて欲しいという依頼にも出来る限り応えてきました。
「県内外の若者を受け入れ始めたのは震災から2年後くらい。世代も違うし住んでいる場所も違う外の人からもらう気づきは多い。やっぱり視点が違うから、浜にいるだけだと狭くなりがちな視野も彼らのおかげで広がったと思うよ。あとは、この浜の魅力を外に向けて発信したいと思うようになれたかな。」
ここにいると小さな浜で牡蛎漁をするだけではなく、阿部さんを慕って全国から集まる若者からも絶えず新しい刺激を受けられるような気がします。
大好きなこの海を一度みて欲しい
優しく穏やかな口調で語る阿部さんの口からは、繰り返し「やっぱり海が好き」というワードが出てきました。一度浜から離れても、あの震災を経ても、それでも尚好きだと言える狐崎浜の海。そこで阿部さんと一緒に存分にチャレンジすることはきっと想像以上にやり甲斐となることでしょう。
「そうだな、やっぱり海が好きな人がいいな。(牡蛎も好きだといいな。)」
これから狐崎浜にも凛とした冬が訪れます。まず、訪ねてみてください。
満天の星空がきっと迎え入れてくれるはずです。
(文:佐藤睦美 写真:Funny!!平井慶祐)
募集職種 | 漁師 |
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雇用形態 | 正社員・フルタイム |
給与 | 月収20万円~ ※6ヶ月の試用期間中は月収16万円 |
福利厚生 | 要相談 |
仕事内容 | 牡蠣養殖 |
勤務地 | 宮城県石巻市狐崎浜 |
勤務時間 | 7:00〜16:00 |
休日休暇 | 日曜 |
募集期間 | 2017年02月25日(土)~2019年02月17日(日) |
会社名 | 清福丸 |
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選考方法 | ※新型コロナウィルス感染拡大防止措置として、現地対応(面談・研修)の受け入れ時期を慎重に判断させていただいております。お電話やビデオ電話などでの企業説明や相談なども行っていますので、まずはお気軽にお問い合わせください。 応募(ご質問ある方はコンタクト) ▼ フィッシャーマン・ジャパン担当より電話にて連絡 ▼ 写真付履歴書の提出(書類選考) ▼ 電話もしくはビデオ電話にて面談 ▼ 現地面談 現地研修(1週間程度) ▼ 内定 |
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