【宮城/漁師求人/養殖】水産業は何色だ。もしモノクロームに見えるなら、見せたい世界がある。

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故郷女川町を拠点に水産業のイメージを 変えようと日々新たなチャレンジを続ける鈴木真悟さん。出会った仲間とともに 始まった「色をプラスしていく」活動は、 徐々に多くの人や企業を巻き込み、大きな渦となりつつあります。熱を持ちつつも静かに語る口調からは、鮮やかな水産業の未来がまっすぐに見えてきました。

 

ずっと距離を置いてきたはずだった水産業

「テレビに映る水産のイメージって、色がないなって思ったんです。荒波の中マグロと戦って、ねじり鉢巻で、演歌聞いて」

だけど俺が今思っている水産の世界ってそうじゃない…と鈴木さんは続けます。

「この辺りでは家族で養殖業をしながら皆が笑っている。定置網で獲れる魚だって色々な種類があるし、船にはハイテク機器を乗せている。漁師はロックだってパンクだって聞いていますよ。なのに、世間ではキツいところだけが切り取られている気がしたんです。」

 

嫌いって程じゃないけど、誇れなかった

鈴木さんが常務を勤める株式会社マルキンは、女川で先祖代々続いてきた牡蛎養殖業を起源に持つ水産加工会社。祖父は日本のみならず世界の先駆けとして、昭和50年代から銀鮭の養殖を始めていたパイオニア。さらにそれを自ら出荷するという「6次化」までも手掛けていました。

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「スゴい会社」なのですが…。

幼い鈴木さんにとって祖父の仕事場は遊び場のひとつでした。当時浜の近くにあった自宅周辺で、同じ集落にいる幼なじみと走り回ったり、時々銀鮭の餌やりに行く「爺ちゃんのふね」にも乗せてもらっていました。しかし成長するに従って気付くことがありました。

「小学生になると授業で家のことを話すじゃないですか。友人の家は公務員やサラリーマンをしていて、それが当たり前。子供ながらにして、もしかして水産業ってカッコ悪いのかもしれないって。少なくとも誇らしいとは思っていなかったですね。」

そのまま水産の世界に興味が沸くことはなく、部活とバンドといういわゆる「普通の高校生活」を過ごし、東京の大学へ進学。実はここで今につながるヒントに出会っていました。

「やっぱり家の話になるわけですよ。そこで恥ずかしながら《水産…》と言ってみると、リアクションがいいわけです。友達にウチで扱う牡蛎なんかを送ると、自分にとっては普通のことなのに、まるで高価なものが届いたかのように喜んでくれたり、逆に恐縮されたりして。」 劣等感は意外と感じなかったそうです。

「今思えば…。今思えばですが、そこに消費者と生産者とを繋ぐ可能性を感じていたのかもしれません。」

 

ジレンマ。生産者の想いはどこまで届くのか

物流の現実を知ったのは、食材を扱う商社に就職したことがきっかけ。希望した勤務先は東京、名古屋、福岡のような大都市の営業所でしたが、実際配属されたのは宮城県気仙沼。 営業職として奇しくも水産物を扱うことになった鈴木さんがそこでぶつかったのは価格というモノサシばかりが基準となっている流通の現状でした。

「自分がやっていることと、思っていることに矛盾がありました。末端では、つまり量販店などの流通の出口では既に価格が決まっている。そこから逆算して販売額を決めるから、いくら生産者がこだわった素材を売りにいっても、開口一番に“で、いくら ?”と聞かれました。価値に見合った価格を言うと高いと言われて買ってもらえないんです。」

ひと昔前であれば、漁師が売った商品が市場や加工屋を経由する流れの中で、それぞれの利益分が上乗せされて消費者まで届いていました。それは本当の価値を直接説明できる魚屋が間に入っていたから。しかし町から魚屋は減り、流通の中心が量販店となった今では、その安さから売れ筋の商品はいつも決まっていて、そこに漁師の顔やストーリーは見えてきません。漁師の顔。実家のことがよぎりました。

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「どうにかして良いものを正しい価格で売ってあげたいと思っても、出口の価格は決まっていて。当然どこも赤字になるわけにはいかないから、相手を叩くことになってしまうんです。そうじゃない。もっと何か方法があるはず。そう思って色々手は尽くしたんですが、当時は俺ひとりではどうしようもなくて。」

 

そ し て 、「 変 え る 時 」 は 訪 れ た

「そうじゃない」。そんな違和感を募らせていた頃、あの津波が地元を襲いました。鈴木さんの実家や自社工場も全て流失。しかし、ガレキだらけの町の姿はやがてひとつの転機に見えてきました。

 

決断の先に見えた可能性とは

「今だからこそ《本当のリセット》ができると思ったんです。加工屋も問屋も再稼動の見込みはなく、自分で作った魚は自分で売るしかありませんでした。だけど、、爺ちゃんが始めた銀鮭は、養殖から加工・販売まで自社で完結出来る。ここでいち早く立ち上がることで、サラリーマンの立場では決して出来なかったことを実現できると、感じました。」

同様に勤務先の気仙沼も被害は大きく、取引が再開できる状態ではありませんでした。

「どこに飛ばされるか分からない状況でしたし、いまさら水産物以外のものをやりたくないなっていうのもありました。」 転勤の辞令を待たず会社を辞め、地元女川に帰ってきました。この決断まで震災からわずか半月。

「両親は大反対でしたよ。大学まで行ってサラリーマンになったのだから、それを手放すことはないんじゃないかと。帰ってきても社屋や工場は流失していて、この先どうなるか分からなかったし、海だって前の状態ではないですから。」

漁業権を持つ生産者としての側面を兼ね備えながら、自社でその商品価値を直接説明できる。そんな強さをもった会社はどこにもない。鈴木さんはその強さを信じ、バイヤーを探してはひたすら営業に飛び回りました。

 

「2 年、3年するとその価値を分かって納得のいく価格で取引をしてくれる流通業者さんや量販店さんがついてきてくれるようになりました。こちらの想いを受け止めてくれて、少し高くても買っていただける、そうやって消費者との距離を縮めていきたいです。」

復興デパートメント

希望は自分と同世代の若者に

流通の仕組み以外にも、水産業が抱えている問題がもうひとつあります。女川に限ったことではありませんが、 水産業に関わる人の全体数は年々減り続けているのです。しかも平均年齢は上がるばかり。パートを含め、25人いるマルキンの社員の平均年齢は60歳を超えます。20 〜30代の5名を除くと他はみな50代以上。

「もともとウチに勤めていた方がそのまま歳を取ってきただけ。若い世代が入って来ていないんです。この業界の魅力を若い人達に伝えきれていないんです。」

マルキンにいる2人の若手社員は、今年「養殖部隊」として入社したばかり。鈴木さんが理事を勤めるフィッシャーマン・ジャパンの活動が功を奏した形です。その内のひとりは同団体が推し進める「TRITON PROJECT」がきっかけで、漁師になりたいと県外から移り住んできました。

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人がつながる空間がキッカケをつくる

「とにかく水産業に関わるキッカケをつくりたいんです。まずは人が集い、体験し、話を聞いて、繫がりをつくることがスタート。その後は自分がどういう形で水産業と関われるかを考えてもらえればいいんです。漁師志望だったとしても、独立を志す人もいれば、試しにやってみてからという人もいますよね。もし働いてみた所が合わなければ、他の受け入れ先や、陸上の仕事を紹介することも出来ます。魚種によって繁忙期も変わりますから、人手のシェアもして いければと思っています。水産業といっても、広報や営業、加工など働き方は色々ありますから。」

 

「TRITON PROJECT」では女川を含む3つの拠点がシェアハウスとして稼動中。住むもよし、短期滞在もよし、体験教室だけの利用もよし、あらゆる集いの場としての可能性を秘めた拠点と言えます。ここに人を集めると同時に、集まった人が働ける場所が増えることでさらにその可能性は広がります。

 

「趣旨や思いに共感していただける企業にご協力いただいて、この拠点をフル活用できたらいいなと思っています。受け入れ先も漁師だけでなく、色々な働き方にアプローチしながら拡げていかなくてはと。このフィッシャーマン・ジョブでも繋がっていけたら嬉しいです。」

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遠回りしたかもしれない。 だけど道は間違っていない

仕事は面白い。だけど地元に戻って来たことに後悔はないのでしょうか。

「女川町自体は…まだ作っている途中ですから。お嫁さん探しも含めて人生は少し遠回りになりましたね ( 笑 )。だけど、サラリーマンのままでいたら出会うはずのなかった人たちが周りにいてくれています。水産業は今まで同じ業界の中でしか交流がありませんでした。今は電機メーカー、アパレル、IT企業など、一体何屋なんだ?ってくらい色々な業種の方々と仕事ができています。」

 

カラフルな水産業を目指して

そういえば、今の水産業は鈴木さんにはど「色」に見えているのでしょう。

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「18 色入りのクーピーですね。今はある色だけで色を塗っている感じです。ハイビジョン画質にはまだ遠い。フィッシャーマン・ジャパンのような仲間の中にある色だけでなく、外から若い人を呼び込み、色々な人たちを巻き込んで、色数を増やしていきたいです。」

水産業のイメージを変えたい。信じた道の先にはきっとカラフルな世界が広がっているでしょう。

(取材日:2016年1月10日 文:佐藤睦美 写真:Funny!!平井慶祐)

 

応募申し込みフォームに不具合が生じる場合があります。お申し込み、お問い合わせは
triton@fishermanjapan.com
まで直接メールでご連絡ください。

募集情報
給与 18万円~
※試用期間あり
※試用期間中は月収15万円〜
※年1回程度の昇給あり
勤務地 宮城県牡鹿郡女川町
勤務時間 【漁師】5:00〜15:00 休憩1時間以上  ※時期によって異ります 
【工場】8:00〜17:00 昼休憩1時間 10時、15時に15分の小休憩
休日休暇 【漁師】漁期中は天候による。漁期終了後、40日程度の休暇有り(8月中旬〜9月末頃)。お盆休み3日程度、年末年始3日〜4日 毎年のカレンダーによる。  
【工場】週休1日 年間90日程度
募集期間 2017年03月01日(水)~
その他 ・仕事内容
【漁師】
銀鮭の水揚げ(4-7月)
養殖生け簀の銀鮭へ給餌作業(11-7月)

【工場】
銀鮭、牡蠣、ホタテの加工・出荷作業

・条件
普通免許必須
会社情報
会社名 株式会社マルキン
Webサイト http://www.kaki-marukin.com/
選考方法
選考方法 ※新型コロナウィルス感染拡大防止措置として、現地対応(面談・研修)の受け入れ時期を慎重に判断させていただいております。お電話やビデオ電話などでの企業説明や相談なども行っていますので、まずはお気軽にお問い合わせください。

応募

フィッシャーマン・ジャパン担当より電話にて連絡

写真付履歴書の提出(書類選考)

電話もしくはビデオ電話にて面談

現地面談
現地研修(1週間程度)

内定

【宮城/漁師求人/養殖】水産業は何色だ。もしモノクロームに見えるなら、見せたい世界がある。

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