【石巻地区/海苔養殖】集え若者。希望の旗を掲げよう。

【石巻地区/海苔養殖】集え若者。希望の旗を掲げよう。

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宮城県石巻市沢田地区。穏やかな万石浦に面するこの地区で、海苔養殖を営んでいるのが千葉勝(まさる)さん。

中学生まで野球少年だったという勝さんは、周囲よりも頭ひとつ、ふたつ分ほど背が高く、がっしりとした体幹。海の上でのカッパ姿もさることながら、陸作業で愛用しているツナギ姿も日に焼けた肌によく似合います。

迷い猫に「にゃんこ」と名付け、小さな命をこよなく慈しむ勝さんですが、祖父から続く漁業の仕事を継ぐという選択肢は、成人して働き始めるまでまったくなかったそう。

「子供の頃から仕事は手伝わされていたけど、あの時代はすべてが手作業で……今みたいに機械もリフトもない。船から万丈カゴで牡蠣を陸にあげるときも、ロープを使って手であげる。半日過ぎるのなんかあっという間で、気づくと夕方。だから休みの日に手伝えって言われると、嫌で嫌で仕方なかった」

海苔養殖もまだまだ安定して稼げなかった時代。
お父様も、長男である勝さんに「漁師を継げ」とは一切言わなかったそうです。

「忘れられないのが、高校生のときかな。仙台から釣りに来ていた小学生くらいの子供に、『どうしてお兄ちゃん、こんな仕事してるの?』って言われたの。こんな仕事……汚い仕事ってはっきり言ったんだったかな?とにかく、はたから見るとそんな風に見えるのか、ってショックだった。あの頃、海の仕事って今よりももっと汚いイメージがあったし、そんなに収入もよくなかったんだよね。自然相手だから、いいときもあればめちゃくちゃ悪いときもあって、とにかく収入が極端だった。世間から見ると印象がよくなかったんだろうけど、あのとき言われた言葉がずっと心に残っていて」

高校卒業後、家の仕事とバイトをかけもちしながら大学受験を志しますが、憧れのキャンパスライフの夢は叶わず。地元・石巻で時計の部品をつくる工場で半年ほど働いた後、ようやく腰を据えて家の仕事をはじめたそうです。

「よし、漁師やるぞ!っていう感じでもなく、なんとなく家の仕事を手伝いはじめた感じ。仕事早く終われば遊びにいけるし、1、2年目は仕事のこと全然わからなかった。やればいいやって感じで。あるとき、初めて自分で海苔を刈って、機械にかけるまで全部携わった。そのときの海苔の値段がめちゃくちゃよくて、それで真剣味が増したというか。やり方もあれこれ変えてみたり、工夫してみたり、それに対して結果がでるからおもしろくて。そうやってるうちに、父親からひと通り仕事も任せてもらえるようになった。28歳くらいのときかな。任されて初めて、父親のやっていたことの大変さもわかったし、家に仕事があるっていうことは恵まれてることなんだなと改めて思った。それまでずっと甘えていたんだと思います」

沢田地区のお隣、渡波地区には16軒もの海苔養殖を営む家がありますが、沢田地区を管轄している宮城県漁協石巻地区支所で海苔養殖を営むのは、千葉家たった1軒のみ。

奇しくも昭和45年生まれの勝さんの周囲には、同世代がいません。
ちょっぴり寂しいのでは……と思われがちですが。

海苔は共販(県漁協が県内で生産された海苔を集荷して入札会を開き、等級ごとに高値を付けた入札指定商社が落札する方式)で行われるため、ほかの地域の海苔と出来栄え(等級であり入札価格)で競い合うことができます。ひとりで奮闘しながらも、常にほかの地域の海苔漁師を見据え、自身の仕事の励みにしてきました。

「周りに同業者がいないということは、逆に人の目を気にしないで、自分で考えて、思い切ったことができる。一度、筏の間隔を広げてやってみたことがあるんだけど、台数としては減るんだけど、潮の通りがよくなって、いい海苔が獲れた。安い海苔を大量につくるよりも、枚数が少なくてもいい海苔をつくれば、経費もかからなくて済むんだなって。こうするとどうかなって、ちょっと変わったことにも挑戦できるメリットもある」

そして……
たった1軒。ひとりだったからこそ。
いつか若い人と一緒に働いてみたいという思いを募らせてきました。

「今まで忙しい時期は年配の人に来てもらっていたけど、今日ここまで頑張りたいなと思っても、かなり気を使ってしまって……。これが若くてやる気のある子だったら、きっと理解して、一緒にやってくれるんじゃないかなって」

 

若い人と働くということ

2017年夏。

全国漁業就業者確保育成センターによって開催された就業フェアに参加していた県漁協石巻地区支所の小野寺支所長は、東京会場でひとりの若者と面談をしました。

現在、勝さんのもとで就業をしている磯島雄大さん(当時21歳)。

『魚を獲る漁業がいいと言っていいるけれど、この子は養殖に向いてる……』

直感が働いた小野寺支所長の脳裏には、すぐに勝さんの顔が浮かびました。
養殖業をやってみないか、ぜひ石巻に来てほしい、と熱心に勧誘。

熱烈アプローチを受けた磯島さんですが、もともと漁師の仕事をしたかったというわけではなく、「なんとなく」インターネットで漁業を調べるうちに就業フェアのことを知り、会場に足を運んでみたのだとか。実は、石巻市のほかにも3つほど他地域の漁業者から勧誘を受けたのだそうです。

「決め手というわけではないですが、石巻がいちばん感じが良かったんです。就業フェアのあとにすぐ連絡をもらって、とりあえずやってみよう、やってみないとわからない、って。車に荷物を全部詰めこんで。ダメだったらとかは考えなかったですね」

こうして、岡山ナンバーの車に乗って現れた磯島さん。

肌も白く、体の線もシャープでシャイな青年の登場に、「1週間持つかな?」というのが現場の第一印象でした。
しかし、そんな心配も束の間。
勝さんの中で、「この子は大丈夫」という確信が日に日に強くなっていきます。

「海に行ったら音(ね)をあげるのかなと思ったんだけど、あげない。いつもやる気満々だし、本気なの。とにかく負けず嫌いなんだよね。ロープワークを教えるときにも、すぐ覚えられるわけではないから、ゆっくりやれって言うんだけど、その日家でめちゃくちゃ練習してくる。次の日になるとできてるんだもん(笑)。綱さし(ロープの先端をほどき、スパイキと呼ばれる漁具でロープの間を広げて先端を差し込むことで、結び目なく輪っか状にしたり、繋ぐこと)も、スパイキを持って帰っていいですか?って。次の日になるとできてるの。それ見てたら、自分も負けてられないなって。やっぱり変な格好を見せられないんだよね。そこまでやって来るんだったら、自分はもっと頑張らないとって」

こうして2週間の研修はあっという間に過ぎ、磯島さんはそのまま就業することになりました。

勝さんにとって磯島さんを語る上で、印象に残っている出来事があります。
それは、秋に行われる陸上採苗の作業中に磯島さんが腰を痛めてしまったときのこと。大事をとって2、3日休みをとらせていたのですが……

「家に様子を見に行ったら、家中のロープというロープが結んであって。休んでるのが申し訳ないって練習してたんだろうね。それを見て、これは疲れたとか腰が痛いとか言ってられないぞ、と」

格好悪い姿見せられないじゃない、と苦笑いする勝さん。
どうやら勝さんも、磯島さん以上に負けず嫌いのよう。

そんなふたりだからこそ、切磋琢磨しあい、師匠と弟子という関係を超えて、友達のような、ライバルのような、そして家族のような関係を築くことができました。

「探究心っていうのかな。今まで自己流でやってきたのが、彼を見ててもっとこうしてみようかなとか、違うやり方があるんじゃないかって思うようになった」

3年という月日の中で、すっかりたくましくなった「ユウ」くん。
この夏で、24歳になりました。趣味は食べ歩き。
自分のように荷物ひとつで研修に訪れる若者を誘って行くこともあります。

勝さんは、磯島さんを「労働力」と思ったことは一度もありません。
大きな可能性を秘めた未来ある若者をサポートしていくことが、自分たちの役目であり、彼と一緒に働くことで、自分自身がもっともっと成長できるのだと。
自分にとって、そしてこの浜にとって、「かけがえのない存在」なのだと語ります。

それに応えるかのように、磯島さんは言います。

「いつか、勝さんの背中に追いつきたい」

勝さんも、勝さんのお父様もお母様も。
磯島さんを下の名前をとって「ユウ」と呼びます。

一緒にご飯を食べに行ったり、誰かの記念日にお祝いをしたり、母の日には一緒にお花を買いに行ったり。

昔からあったまんまるのひだまりのような、そんな温かい関係が、この浜の「いつもの風景」になりつつあります。

 

次なる高みへ

さてさて、ここまでは担い手・磯島さんを受け入れたお話。
忘れることなかれ。これは求人記事。物語は次なる展開を迎えています。

「ユウ、風出て来たな。どうする?」

最近では「ユウ」くんに仕事の判断をさせることが増えて来ました。

そして、昨年大学生の漁業研修を受け入れたことをきっかけに、「ユウ」くんの弟分となる、ふたりめがほしいと思案するようになったのです。

「そのときに初めて、ユウと船を別れて作業をした。心配はあったけど、やらせたの。自分で地図を見て、場所を確認して間違わずに行って、学生に指示しながら一緒に作業をしてるのを見て、ちゃんと自分なりに考えてそういうことができるんだって感心した。こうやって下の子を教えることや、一緒にやる仲間がいることで、彼自身がもっともっと成長できるんじゃないか、そんな姿を見てみたいって思ったんだよね」

時化や突風、海の色、潮の流れ。
長年の経験がものをいうところはもちろんあります。
それを口で言い聞かせるのではなく、彼自身が直面することで、考えて、行動できる漁師になれるのではないか。

「ユウが今度は育てる姿を見てみたい。その子と段取り組んで、協力しあって仕事するっていう。多分俺が口出しするんだけどね(笑)。でも、きっとそれでまた俺も刺激をもらえるはず」

そしていつの日か……

「海苔漁師は一人でやっていくのは難しい仕事だから。一緒に共同経営をしていくでもよし、会社を法人化して組合員資格をとるでもよし。若い彼らが、この地域の漁業者としてもっともっと活躍できる形をつくっていきたい」

それが、勝さんの願いです。

先に述べたように、勝さんの地域には残念ながら同世代の漁師はいません。
しかしながら、今、勝さんのもとには、思いを分かち合える仲間がたくさんいます。

「TRITON PROJECT」を通じて若者を迎え入れたことで、浜を超えて、魚種を超えて、たくさんの親方と繋がり、「ユウ」くんにのように県外からやって来る若者にも出会いました。

共に思いを共有し、彼らが進むべき未来を模索し、語り合えること。
この小さな出会いがきっと、大きな未来へと繋がっていくはずです。

勝さんが新しくやってくる子に求める条件はただひとつ。

きちんと挨拶ができること。

どんなに疲れていても、どんなに不機嫌な朝でも、「おはようございます」「お疲れ様です」と挨拶をする。当たり前のことのようですが、毎日顔を合わせるからこそ、気持ちよく挨拶を交わすことで、お互いの信頼関係は築かれていきます。

漁師として、今がいちばん楽しいと話す勝さん。

「あのとき……こんな仕事って言ってたあの子供に、今の自分たちの姿を見てもらいたい。ほら、こんな風になったんだぞ!って。あの日からずっと、あの言葉に負けたくないと思ってきた。時代は変わったんだ。向上心を持って頑張れば、水揚げ額だってあがる。漁業に興味を持ってくれる若者が現れて、こんなに楽しそうに働いてくれている。今の姿を、いつか見てもらいたいね」

悔しかった、恥ずかしかった時代もあった。
震災で諦めそうになったときもあった。
それでも今ここには、漁師を目指してやってきたひとりの若者がいる。
きっと彼らが、もっともっと素晴らしい時代を切り開いていく−−

あの頃には想像もつかなかった、カラフルな未来に向かって、勝さんは旗を振り続けます。

「水産業の未来をつくろう。一緒に」

文=高橋由季
写真=Funny!!平井慶祐、高橋由季
(写真は2017年〜2020年に撮影。取材は2020年6月に行いました)

 

<仕事を知る>知りたい海苔養殖の全て
https://job.fishermanjapan.com/column/984/

<2人が登場する動画>TRITON PROJECT「革命ですよ」
https://job.fishermanjapan.com/column/1454/

 

募集情報
募集職種 漁師
給与 月収20万~25万円
福利厚生 水揚げによりボーナスあり, おやつ、海産物手当, 作業内容に応じて食事提供あり, 乗組員厚生共済, 労災保険, 雇用保険, 資格取得支援あり(船舶免許・フォークリフトなど)
仕事内容 海苔養殖, 種牡蠣養殖
勤務地 宮城県石巻市沢田
勤務時間 (繁忙期)8〜4月 5時〜14時 (閑散期)5〜7月 8〜16時 ※漁業のため作業によって異なる、実働8時間程度
休日休暇 繁忙期は荒天日休み(月5日前後) 閑散期は日曜休、GW休あり
募集期間 2016年07月09日(土)~2020年09月11日(金)
その他 若手育成目的のため、24歳前後を希望

車で5分のところにフィッシャーマン・ジャパンが運営するシェアハウスあり(TRITON WATANOHA)
会社情報
会社名 有限会社 千葉海産
選考方法
選考方法 ※新型コロナウィルス感染拡大防止措置として、現地対応(面談・研修)の受け入れ時期を慎重に判断させていただいております。お電話やビデオ電話などでの企業説明や相談なども行っていますので、まずはお気軽にお問い合わせください。

応募

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写真付履歴書の提出(書類選考)

電話もしくはビデオ電話にて面談

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